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雨降れば地も固まる
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 あ、道節。
 廊下の角で道節を見かけ後を追いかけると、曲がった先で道節が誰かと会話する声が聞こえた。
(珍しいな)
 最近は時折見かけるようになったが、道節が犬士の仲間以外と会話をするのは珍しい。
 折角なので邪魔をしては悪いと角の手前で躊躇したとき、その会話が聞こえた。
「……仲睦まじく歩いておられるところを拝見致しましたよ。道節殿も隅に置けませんね、あれほどの器量の女性とどこで知り合われたのやら」
「おいおまえ、その事をほかの誰かに言ったら」
「言いませんよ。代わりに今度紹介……」
 私は逃げるようにその場を立ち去った。会話相手に何か叫んでいる道節の声が響いていたが、何と言っていたのかは耳に届かなかった。
 ただ道節がその女性の為に怒っている事だけはたしかで……。
(いつの間にそんな相手が現れたんだ?)
 昨夜別れたときはそんな素振りはみせなかった。昨夜だけではなく今日まで道節が女性と一緒にいるところなんて、見るどころかそんな素振りさえ無かった。
(でももしかしたら見落としていただけかも……けど、道節に限ってそんなことは)
 鬱々と考えながら廊下を歩き、そのまま部屋に引き返す。
 ここずっとどちらかの部屋に居ることが多かった為か、一人の部屋が広く感じる。
 初秋を迎えたとはいえまだ昼間の陽気は暖かい、それなのにこの部屋だけ凍ったように寒々しく感じた。

+ + +

 あの日以来道節とはまともに話せていない。
 よく考えればたまたま一緒にいただけかもしれない、そう思っても直接真偽を確かめられないでいた。
 もし本当に他に好きな女の人が出来たのだとしたら、考えるだけで不安になって危うく涙がでそうになる。
 いつの間にこんなに脆くなってしまったのだろう。
 何もしていないとその事ばかり考えてしまう。
 これではいけないと村雨丸を手に庭へ降り鍛錬を始めた。
 呼吸を整え、村雨丸に意識を集中する。途端に雑念は消え神経が研ぎ澄まされる。
 一通りの鍛錬を終えて村雨丸を鞘へ戻す。
「まだ、大丈夫」
 村雨丸は重くなっていない、その事が脆くなった私の心を勇気付けてくれる。
「何が大丈夫なんだ」
「ひゃっ」
 突然掛けられた声に驚き振り返ると、そこには道節が立っていた。
「おまえは何て声を出してるんだ。他の奴だったら最悪女だということがばれるぞ」
「そんなこと」
「無いとは言えないだろ、それでなくともおまえは最近、随分と女らしくなったからな」
 女らしくと言われて一瞬胸が高鳴るが、直ぐにそれは苦い疼きへと変わる。
「私が女らしく見えるとしたら、それは道節のせいだろ」
 先程までの済んでいた心は道節を前にした途端どろどろと濁りを帯びて疼きだす。
 道節さえいなければ私の心はこんなにも迷うことなく、もっと強くあり続けることが出来たかもしれないのに。
 そんな事を少しでも考えてしまう自分自身に嫌悪して、堂々巡りの結果泥沼化してしまっている。
「ほう、おまえが女になるのは俺のせいか」
 そう言って私に伸ばしてきた手を、私は咄嗟に振り払ってしまった。
 道節の眉間にしわが寄り、不機嫌を通り越して怒りが露わになる。
「おい、どういうことだ?」
「ごめん」
 鋭い眼光に晒されて視線を反らせば、道節の機嫌が更に悪くなる気配を感じた。
「おまえ最近何があった」
鋭い視線で問いただしてくる。
「別に……あったとしたら道節の方じゃないのか?」
 しばらくの間沈黙が落ちる、それに耐えかねて道節をみ上げると、唖然とした表情をしていた。
「おまえ何を言っているんだ」
 全く身に覚えが無いという反応に不安ではなく怒りがこみ上げてくる。
「本当に身に覚えは無いのか」
「身に覚えどころか、おまえが何を言いたいのかさえ俺には分からんのだが」
 本当に覚えが無いようで、らしくない困った表情を浮かべている。
(もしかして、本当に何も無いのか?)
 だとしたらこの数日間私が悩んでいたのは何だったんだ。
 そう思うと自分が情けなくなってくるが、逆に直接本人に聞く勇気を与えてくれた。
「女の人と歩いてたって聞いたぞ」
 言った瞬間道節が踵を返す。
「おい、どこに行くんだ?」
 慌てて追いかけ、回り込んで道節の前に立ち睨みつける。
「逃げるのか?」
「逃げる、違うな。殺しに行くんだよ」
「は、ちょ、待て」
 慌てて袖をつかみ引き留める。
「邪魔をするな、あの野郎誰にも言うなと言ったのによりによってこいつに言いやがって」
―ブチッ―
 頭の中で何かが切れる音がした。
「落ち着け、そして説明しろ」
 道節の襟首を締め上げ、間近になった瞳を睨みつける。
「お、おい、落ち着くのはおまえだ。何をそんなに怒っているんだ」
「自分の胸に聞いたらどうだ?」
 笑顔を作ってそう伝えるが、目が笑っていないのが自分でもわかる。
「だから身に覚えがないと」
「だったらその一緒に歩いていた女というのは誰なんだ?やましいことが無いなら言って見ろ」
 鼻息も荒くそう言うと、
「少し落ち着け」
 道節の手が私の頭にぽんと落ちてくる。
「おまえは奴から何を何処まで聞いたんだ?」
 意味ありげな問いに再び不安に駆られながら私は立ち聞きしたことを話した。
 話を聞き終わると、道節は長いため息を吐いた。
「おまえは、ろくに話も聞かず俺を疑っていたのか」
 怒っているというより呆れている声だ。
「疑うって、けど女の人と仲睦まじく歩いてたって。それも綺麗な人なんだろ?」
 今度こそ心底呆れ返った表情をしている。
「いいか、よく聞け」
 口にするのも億劫だという程の脱力感が伝わってきて、戸惑いながらも頷いた。
「奴が俺に言ったのは、祭りの日の夜の話だ」
 祭りの夜。
(あれ?)
 目が泳ぎ、そのまま道節から視線を逸らしてしまう。
「思い立つ節があるようだな」
 思い立つも何も、祭りの日といえば。
「もしかして、私?」
「もしかせずともおまえだ」
 そうあの日、祭りの夜、私は道節と一緒に祭り見物に行ったのだ。祭りなんてと言う道節を宥め、最後の手段で、
「男の格好で一人で行くのも寂しいから、女の格好で行こうかな」
 と独り言めいて呟くと、案の定乗ってきた。
 そうまでして一緒に行ったのに、『器量のよい女性』という言葉に騙されて私のことだとは思わなかった。
「気が付かなかったのか」
「いや、だって、器量のよいとか言ってたし」
 しどろもどろになり俯く私の顎に手を添え上を向かせる。
「いつも言ってるだろう、おまえは充分綺麗だと」
「でもそれは、男としての話で」
「おまえは男でも女でも充分綺麗だ、少しは自覚を持て」
 言われた言葉とその真剣さに無性に照れ臭くなってくる。赤くなる顔を見せまいと俯こうとするが、添えられた道節の手がそれを許してくれなかった。
「そういうところは可愛いのだかな」
 そう言って近づいてくる顔を慌てて押し止める。
「どうした?」
「どうしたじゃないだろ」
 ここは城の中庭で、いくら日が落ちかけてるとはいえ何時人が通ってもおかしくない。
「誰かが通ったらどうするつもりだ」
「どうもしないが」
「どうもしないわけないだろ?どう見ても男同士がそんなこと」
「男同士に見えようがどうしようが、おまえが俺のものだということには変わらんだろ」
 当然のことのように言ってのけるが、私の言いたいことはそこではない。
「不謹慎だと言ってるんだ」
 誰かに見られたら恥ずかしいとか、気まずいとかと言う前に、何とかそれらしい言い訳を思いつく。
「不謹慎か……」
 少し考える素振りを見せた道節だが、
「関係ないな」
 そう呟くと、一瞬気を抜いていた私の唇を塞いだ。
 いきなりの事にじたばたと暴れる私を制し、喘ぐ隙間から口付けを深くしていく。
 絡められる舌の感触と重なる吐息に解かされて体を道節に委ねた頃漸く開放されるが、今度は離れていく熱を恋しく感じてしまう。
「何だ、不謹慎と言っていたわりに可愛い表情じゃないか」
「な、な、な〜〜〜〜〜」
 余りの事に言葉も出ない私を見て道節はニヤリと笑み、耳元に口を寄せる。
「俺を疑った罰だ」
 さっきの熱が冷めないまま道節の吐息が耳朶に触れ、体が小さく震えた。
「う、たがった、て言っても、結局私だったんじゃないか」
 何とか講義するも、今の私では全く説得力がない事くらい自分でも分かっている。
 それを愉快そうに見ながら、
「つまりおまえは自分に焼餅を焼いていたと言う事か」
 突きつけられた事実に先程とは違う羞恥が体を駆け上がる。
「しかし、おまえに妬かれるというのは悪くない気分だな」
 私の羞恥などお構いなしに道節は満足して頷いている。
 その悦に入った顔を殴ってやろうかとも思ったが、
「私はずっと落ち着かなかったよ」
 悩んでいた数日を思って少し拗ねた物言いになる。
「これで少しは俺の気持ちが分かっただろ」
「え?」
 逸らしていた視線を戻すと、道節もどこか拗ねたように私を見ている。
「おまえはいつも色んな奴にいい顔をするからな、その度に俺は同じ思いをしていたんだ」
 一瞬何と言ったらいいか分からなくなってしまった。
「えっと、ごめん」
 取り敢えず素直に謝るが、思わぬ言葉に頬が緩みだした。
 不安にさせていたのは申し訳なく思うが、それほどまで思われていると思うと嬉しくて仕方ない。
「何をにやけてるんだ」
 指摘されて口角を引き締めるが上手く行かない。
「まあいい」
 ついにやけてしまう私に、釘を刺すように告げる。
「分かったらな、これからは余り他の男と話はするなよ」
「何でそうなるんだ」
「おまえ、俺の気持ちがわかったんじゃなかったのか?」
「確かにいい気分ではないのは分かったけど、同僚に話しかけられて無視するわけにもいかないだろう」
 私は男として仕官しているんだ、そうとは知らず接してくれる同僚達を無下にはできない。
 それに他の八犬士たちだって、彼らは大切な仲間だ。それは道節だって納得してくれていた筈なのに。
 そう告げると道節は、
「そうか」
 と静かに頷いた。
(怒ったのか?)
 呟く道節を恐る恐る見上げると、予想に反して不適な笑みを浮かべている。
「道節?」
「おまえの焼餅に免じて俺を疑った事は許してやるつもりだったが気が変わった」
 気が変わったにしては、怒っている雰囲気ではない。
「許さないって、どうするつもりなんだ?」
「決まっているだろう、俺がおまえ意外に興味をもつなどありえない事をその体に教え込んでやるんだ」
 えっと、それは。
 戸惑いながらもどこか嬉しい自分に気付く。
 そのことを悟られまいと、私も不適な笑みを浮かべて見せた。
「だったら私は、私が道節意外と話していても、道節以外好きになったりしたいって事を教えてあげる」
 自分の口から出た言葉に自分自身で驚きながら、
「だから、覚悟しておくんだな」
 そう告げると、一瞬驚いた様子の道節だったが、
「やはりおまえは俺が惚れた女だけのことはあるな」
 そう言ってもう一度、今度は小さく口付けをする。
「い、今じゃないからな」
 慌てて体を離すと、
「当然だ、おまえのあんな姿他の奴らが目にする場所で見せられるわけがないだろうが」
 そして私の腕を掴んだ道節は、そのまま私を城の中へ引っ張って行く。
「だが、それ程待つ気もないのでな」
 大胆なことを言ってしまった先程の自分を呪いながら、それとは別の部分で前より強く道節を求めている事を感じる。
 疑って、不安になって、だからより一層その繋がりを大事に感じるのかもしれない。
 ああ本当に、雨降って地固まるとはよく言ったものだ。

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