「信乃、そんなところで何をしているんだい?」
声のする方を向くと荘助が立っている。
訝るような呆れたような顔をしているが、その理由は分からなくもない。
城下町の角で子犬を抱えて座り込んでいる姿を見れば誰だって「何をしている」のか聞きたくなるものだ。
「見て分からないの」
「えっと、分からないから聞いているんだけど」
敢えて尋ね返すと困った顔をして私の隣に屈んだ。
「犬、だよね」
「うん」
「飼うの?」
荘助が私の腕の中で大人しくしている子犬を覗き込むと、丸まっていた子犬が体を起こし荘助を見上げて尻尾を振った。
「飼わないよ、飼い主を待っているんだ」
そう言って、ここに到るあらましを説明する。
「つまり、溝にはまっていた子犬を助けて里親を探していたら子供が飼いたいと言ってくたと」
「うん、けど子供にそのまま渡すわけにはいかないだろ?ちゃんとご両親に聞いてみないと」
「それでその子が戻ってくるのを待ってるってわけだ」
「そういうこと」
つい先刻まではじゃれて遊んでいた子犬だったが、疲れたのか私の膝の上に乗って眠ってしまっていた。それが荘助を見て再びじゃれて遊び始めた。
「でももしその子の両親が駄目だって言ったらどうするつもりなの」
「そんなの、また飼い主を探すだけだろ」
荘助の手にじゃれながらころころと転がっている子犬をみる。
(荘助ってホント、動物に好かれるよな)
ヨシロウも荘助に懐いていたし、キジロウもそうだった。
動物は人の本質を見抜くとよく言われるけど、あながち迷信というわけでもなさそうだ。
(荘助は面倒見がいいからな)
「なに笑っているんだい」
「いや、荘助は動物に好かれるなと思って」
「それは君もだろ」
「そうかな?」
「僕はそう思うけど」
そう言っていつの間にかお腹を見せて転がっている子犬のお腹を撫でている。
お腹を見せるなんて安心している証拠だ。
(それとも子犬は別なのかな?)
子犬はまだ警戒心が薄いのかもしれない。誰にでも甘えることによって生き抜く知恵とも考えられる。
「君が飼えばいいのに」
「え?」
ぼうっと荘助と子犬を見ていたせいで初め何と言ったのか聞き取れなかった。
「だから、もしその子の所で飼えなければ、君が飼えばいいだろ」
「飼えるわけないだろ」
「どうして」
「どうしてって」
私達は先だって里見公に召抱えられたばかりの身だ、犬を飼いたいなどとそんな事を言えるはずがない。
「義成様は許して下さると思うけどな」
狩などに連れて行ったり番犬としたりで犬を飼っている城も珍しくはないと聞く。
「そうかもしれないけど」
「けど?」
「死んだら可愛そうだなって、思ってしまって」
ヨシロウの事を思い出してしまった。
私と兄弟のように育った犬は、私の思慮が足りなかった為に殺されてしまった。それを思うと次に動物を飼うのが恐くなってくる。
子犬はいつの間にか荘助の膝に移り寝息を立てている。
「何だか、君らしくないことを言うね」
「そうかな」
子犬から荘助に視線を移す。
「いつもの君なら、二度とあんなことが起こらないよう守ってみせる、って言うんじゃないかな」
「なんだよそれ、私の真似のつもりなのか?」
拳を作り顔を引き締めて言う荘助をみて笑ってしまった。
笑われた荘助は不本意な顔をしているが、耳まで真っ赤に染まっている。きっとそうとう恥ずかしかったに違いない。
「信乃、子犬が起きるよ」
仏頂面の荘助が不機嫌な声をだして私を諌める。
「あ、ごめん」
慌てて子犬を見ると、荘助の膝の上の子犬は私の笑い声なんかでは起きる気配はなく、気持ちよさそうに寝息を立てていた。
ほっと息を吐いて先程言われたことを考えた。つい笑ってしまったが荘助の言ったことは間違いではない。
「うん、その通りだな」
本当に私らしくなかった。
失うのが嫌なら失わずに済むよう守ればいいだけの話だ。
それでも相手が犬ならば私より早く天寿を終えてしまうのだろうけど、それは仕方のない事だし納得も出来る。
きっと寂しくはあるだろうけど、苦しくはない。それはいつか優しい思い出になる類のものだ。
眠っている子犬を撫でると、鼻だけがぴくぴくと動く。
(可愛いな……でも)
「やっぱり飼えないよ」
「どうして?」
「だって、私達は武士としてこの里見に仕えているんだよ。もし私に何かあったら、面倒を見れなくなるじゃないか」
武士として刀を差している以上もしもということもありうる。それを分かって動物を飼うのは無責任だ。
「そんなことにはならないよ」
「なんで言い切れるんだ」
荘助を見上げると彼の手が私の頭に伸びてきて、そして引っ込んだ。
(え、なんで?)
その行為に驚いていると、服の裾で手を拭き今度こそその手で私の頭を撫でる。
(犬を触った手とか、気にしないのに)
私がそんな事を気にしないと知っているはずなのに、それでも気を使ってくれたのだと思うと面映い。
「えっと、何だかしまらないな」
にやけている私を見て照れていた荘助は、業とらしく咳払いをして仕切りなおす。
「大丈夫、君にもしものことは起きない」
今度は何も言わずに荘助の言葉を待った。
「君は僕が守るから。何があっても君だけは僕が守って見せるから、だから君は死なないよ」
大丈夫と言って私の頭を何度も撫でる。
その手は優しくて気持ちのいいものだったが、だからと言ってそのまま大人しく撫でられているわけにはいかない。
(私だって)
「私も、荘助を守るよ」
守られるだけなんて似合わない。
真剣に言ったつもりが、荘助は小さく笑う。
「な、なんで笑うんだ」
「ごめん、ごめん。漸く君らしくなってきたなと思ってさ」
守る為に強くなろうと決めた私だ。守るのが私らしい、そう言われれば悪い気がしない。
「そうかな」
つい頬が緩みかけたが、それに気付かれるのが恥ずかしくて素っ気無い返事を返した。
そして話題を逸らそうと辺りを見回す。
「けど、遅いな」
さっきの男の子が変えない場合は他に飼ってくれそうな人を探すつもりではあるが、それでも不安になってくる。
「ご両親を説得しているんじゃないかな」
「そうだといいけど」
子犬は荘助の膝の上なので、私は立ち上がり辺りを見渡した。
暫くそうしていると遠くからくから母親と思しき人の手を引いた男の子が小走りで向かってきているのが見えた。
「あ、あの子だよ。よかったちゃんと説得できたみたいだ」
男の子の表情が明るいことから、許して貰えたのだと本人の口から確認するまでもなく分かった。
「お兄ちゃん、犬飼ってもいいって」
立ち上がった私を男の子も見つけたようで、大声で手を振り近づいてくる。
「そっか、よかったな」
近くまでやってきた男の子にそう言って、母親を見る。
「すみません、ご無理を言ってしまって」
「いんですよ、別に。前から犬を飼いたいって言ってましたし、ちゃんと自分で面倒を見ると約束させましたから」
武士に頭を下げられたせいか慌てて母親が言い添える。
「お母さんと約束したんだから、ちゃんと面倒見るんだよ」
荘助はそう言って男の子に子犬を渡す。
「わかったよ、お兄ちゃん」
荘助の膝から男の子の腕に渡った子犬は、初め居心地悪そうにしていたが、抱き方を教えてもらった子供がしっかり抱えてやると落ち着きを取り戻した。
何度も振り返りながら去っていく親子の姿を見送って私達も帰途へつく。
「寂しいんじゃない?」
荘助が会話なく後ろをついて歩いている私を振り返った。
「少しね」
そんなことはないと言おうと思ったが、先程まであった温もりを思い出して苦笑する。
本当は飼いたかったのだろうかと自問して、
「けどこれで良かったんだよ」
やはり今の私では犬を飼う事などできはしない。
「まずは自分のことをもっとしっかりしないとな」
男として里見公にお仕えするとしても、いつまでもこのままという訳にはいかないだろう。
荘助の願いもできることなら叶えてあげたいし、私だっていつかはと願う。
「君は今のままでも充分しっかりしているよ」
そう言って私の隣に並んだ荘助を見上げる。
「そんなことないよ、私はまだまだ強くならないと」
「君にそれ以上強くなられると、僕は男としての立場がないんだけど」
「強くなるに越したことはないだろ。それに、一緒に強くなればいいじゃないか」
お互いがお互いを守れるように。
もう二度と大切な人を、大切な場所を失わずにすむように。
「強くなろう」
荘助にだけでなく、自分自身への確認のためにも再度口に出す。
「本当に君には敵わないな」
荘助は眩しいものを見ているかのように私を見つめてくる。
「僕も強くなるよ。何たって、どんな男の人よりもかっこいい君を守るのが僕の役目だからね」
「私だって負けないさ。荘助を守って……」
ふと確信のようなものが胸に湧き上がる。
犬ではないから、荘助は私がいなくなってもきっと独りでいける。
それでも置いて逝ってはいけないと思う。
だから私は、自分自身のことも守れるように強くならなくてはいけないんだ。
失う辛さは知っている、だからこそ大切な人にその辛さを与えてはいけない。
「私のことだって、守って見せる」
だから安心して、と微笑んだ。
「まったく、君って子は……本当に」
感心を通り越してい呆れ顔の荘助にしてやったりと笑みを返しその手を取る。
荘助をひっぱるようにして、私は夕日に染まる城への帰途を歩きだした。