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それは男心?
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「ねえアリス、こっちおいでよ」
 目に痛いピンク色の猫が私を誘う。
 しかしそれに対する応えは決まっている。
「無理よ、無理」
「えー、何で?俺たち恋人同士になったんだしさ、そんなに離れて座る事もないだろ」
「それとこれとは話が別よ」
 エイプリールシーズンの訪れにより私の滞在地である遊園地は夏になっていた。
 降りしきる太陽、青い空と白い夏雲、春とはまた違い木々は深緑に彩られ、色鮮やかな花が咲き誇っている。遊園地のオーナーであるところのゴーランドの趣味か、遊園地内には殊更ひまわりが多く咲いていて、夏限定で開設したプールやウォーターアトラクションが人気を呼んでいる。
 その夏真っ盛りの遊園地の片隅、大きな木の木陰で涼を取りながら、私と遊園地の居候猫ボリスは、先ほどから何度となくこの会話を繰り返してきた。
「別じゃないって」
「別よ、別。絶対に別!」
「そんなに力一杯力説しなくったっていいだろ」
 最後にはピンクの猫がいじけてしまい、耳が後ろに向き尻尾が左右に振れている。上目遣いにジトリと睨まれて少しだけ罪悪感を感じるが、断じてボリスの申し出を受入れる事は出来ない。
「それとも嫌いになった」
「別に、嫌いになってなんていないわ」
 誰がとも何がとも言わないので、私も誰がとも何がとも言わずに言い返す。
「だったらいいだろ」
「だーめ、今は遠慮したい気分なのよ」
「うーん、女心ってわからないな」
「違うわよ」
 今の状況に女心は関係ない。
「えー、じゃあ何でさ」
 わかっていっているのか本気で訊いているのかわからないが、勘のいいボリスの事だ、きっと分かっていて訊いているはず。
 そう思って黙っていたら、
「言ってくれなきゃわからないだろ」
 そんな事を言ってくるから、半眼でボリスを見つめる。
「や、やだな、そんな目で見つめないでよ」
 ボリスの言う「見つめる」という表現はこの場合当てはまらない、正しくは「睨みつける」だ。それなのにボリスがそう表現したのは、私が本気で睨んでいる訳ではない事をわかっているからだろう。
 そう、私は怒っているわけではない。
ただ呆れているだけで。
 そしてボリスの発言に更に呆れた態度を強くして、盛大に溜息を吐いて見せた。
「本当に、言わないとわからないの?」
 ボリスが視線を逸らす。
「いや、ちょっとだけ……わかる気が、しなくもないんだけど……」
「だったらソレなんとかしなさいよ」
「ダメダメ、コレだけは猫として外すわけにはいかないの」
「だったら私だって無理よ」
 分かるでしょ、と前置きしてソレを指差す。
「その襟巻き暑苦し過ぎるのよっ」
「にゃっ、暑いのは確かに暑いけど、暑苦しいって言うのはにゃんか違う気がしにゃい?ていうかこれ、襟巻きじゃないし」
 外せないと言いながら当の本人も暑そうだ。
 それなのにその襟巻き(敢えて襟巻きと言おう)を着けているのだから大した根性なんだけど、それに私を巻き込まないで欲しい。いくら恋人とはいえそこは譲る事が出来ない。
襟巻きが、暑っ苦しいのっ
 暑さでイライラしてきて段々口調が棘々しくなってくる。
 とはいえ暑さで伸びている猫を置いて何処かへ行ってしまうのは気が引ける。私達はその後も懲りもせず同じやり取りを繰り返しながら、多少は涼の取れる夜の時間帯になるまでここでこうしていた。

+ + +

 それから数時間帯後、私達は冬の領土にいた。
 別に以前のように雪祭りに呼ばれた訳でもなく自発的に。正確には暑さに堪り兼ねて冬に逃げて来たのだ。
 しかし、
(寒い……)
 夏から一変して今度は寒い。冬にも何度か来たはずなのに、今までが余りにも暑かったので冬を侮ってしまっていた。
 来た時はそう寒くなかったのに、帰るころになって急に寒くなり始め、途中の森に差し掛かった時には運悪く時間帯が夜に変わってしまった。
(暖かそう)
 あれだけ敬遠していたボリスのファーが今は恋しく思えてしまう。
 だけどつい数時間帯前まであれほど悪し様に言っていたのに、寒くなったからと態度を一八〇度変えるのは虫がよすぎる。
「寒い?」
 寒さで自身の肩を抱くようにして歩いている私にボリスが尋ねてくる。
「平気」
「全然平気そうに見えないけどなぁ」
 そう言うボリスは猫のくせに平気な顔をしている、きっとファーの効果だ。
 古今東西猫は寒さに弱いはずだからそうじゃないとおかしい。
「ねぇ、こっち来なよ。コレ暖かいぜ」
 予想通りあのファーのおかげみたいだ、夏には暑苦しいだけのファーも冬には重宝する。
「大丈夫よ、へ、平気だから」
 段々歯が噛合わなくなってきた。
「いや、本当に、大丈夫じゃないだろ」
 そう言って、ボリスは暫く口を閉ざす。
「それとも、もう俺のこと嫌いになった?」
(え?)
 思いもよらない言葉に顔を上げてボリスを見つめる。
「何でそうなるのよ」
「だってさ暑い時ならまだわかるけど、こんなに寒くて、しかもそんなに震えているのに近付きたくないなんてさぁ、そうとしか思えないんだけど」
「違うわ、ボリスの事を嫌うなんて、そんな事有り得ない」
 だいたい嫌いな人と一緒に出かけたいなんて思わない。
 それを伝えるとボリスが自分の右側を広げて、
「じゃあさ、はい」
 こっちにおいでと私を誘う。
(ここで断ったらボリスの言う事を肯定することになっちゃうわよね)
 ボリスに近付くのは誘われたからで、断らなかったのはそういう状況だったからだと、そう自分に言い訳をしながらボリスに寄り添う。
(暖かい)
 相当冷えていたみたいで、ボリスの体温に触れ体のこわばりが少しずつ解れて行く。
「まったくさ、こんなに冷えてるのに何を意地張ってたのさ」
 何がまでは分からなくとも、私が意地を張っていた事はお見通しだったみたいだ。
 そういう相手に誤魔化しを言ったところで通用しないから、素直に答える事にした。
「だって、すごく自分勝手だと思ったんだもの」
「何が?」
 私の答えを聞いて猫が首を傾げる。
 彼お得意の問答といった雰囲気は無く、本当にわかっていないみたいだ。
「暑い時はあんなに嫌がったのに、寒くなったから今度は入れてなんて、とても自分勝手な事でしょ」
「え、何で?」
 恥じ入るように小声で言った私に対して、ボリスはあっさりとそう答えた。
「何でって、自分の都合いいときだけ相手を頼るのよ?」
「えー、いいじゃん。それって普通の事だろ。俺だって暑い時に余計暑くなるような所に近付きたくないぜ」
 当たり前のように言うボリスを首の角度を変えて見上げると、
「でも暑い時でも一緒に居てくれると、俺としては嬉しいけど」
 そうピンク色の猫が笑った。
 ピンクの髪にピンクの耳、ファーだってピンク色で視界がピンク一色になる。目がチカチカしそうで前を向く。
「でも、腹立たない?」
「何に?」
「何にって、そういう態度取られるとよ。暑い時には近付こうとしないくせに寒くなったら手のひら返して、とか思わない?」
「えー、何で、思わないよそんな事」
 意外だと言わんばかりの驚きように私の方が驚いてしまう。
「何々、アリスは思うの?もし立場が逆だったら、俺のことそういうふうに思っちゃう?」
 問われて暫く考える。
 考えようにも私は冬に寒い格好も夏に暑い格好もするつもりはない。
 けどもしそうなった時の事を考えて答えを探した。
「普通なら、イラっとするわね」
 そう、普通なら腹が立ってしまう。だけど相手がボリスだと思うとあまりそうは思わないかもしれない。
 実際に体験したわけじゃないから分からないけど。
 再度ボリスを見上げると、「じゃあ普通じゃなかったら?」とその目が物語っている。
「相手によるわ」
 ボリスだったら、とかそういう事を言うのは恥ずかしくて、ついこういう言い方になってしまう。
 自分の都合で相手への対応が変わるのもどうかと思うが、相手によって対応を変えるのも同じくらい良くないことのように思う。
 しかしそう思ってしまうのも普通のこと、倫理的には問題があると思っていてもそうならないのが人情だ。
「それってさ、俺だったらイラっとしないって事だよね」
 私の気持ちを察したようにボリスはニヤリと笑う。
(うっ)
 思わず頬が引き攣ってしまった。自分では意識していても相手からそう指摘されると抵抗がある。
(恥ずかしいじゃない)
 まるで恋愛馬鹿になったみたいで、その事に羞恥を感じる。
「俺も相手がアリスだったら全然オーケーだけどなあ」
「何で?」
 そんな事は聞かなくても分かっているのに、照れ隠しで素気ない言い方をしてしまう。
 特別だと思われている、その事が嬉しいと素直に表現できたらもっと可愛げがあると、わかっていても、卑屈で捻くれた考え方が癖になっている私には難しい。
「だってさ、役に立ってるって気がするだろ」
「は?」
 今度は照れ隠しでもなんでもない、素で疑問符を浮かべる。
「前にも言わなかった?俺はアリスの役に立ちたいんだ。役に立つ猫だって思ってもらいたいんだよ」
「役に立つだなんて、そんな言い方……」
(好きじゃないわ)
 好きじゃないし、おかしい。
 だけどボリスは真面目な顔をしている。
「ねえ、アリス。俺はあんたの役にたってる?ずっと側に置いておきたいって思えるくらい役に立ててるかな」
 まるで役に立たなければ捨てられると思っているような言い分だ。
(私がそんな女だと思っているの)
 少しイライラしてくる。
「あまり役には立ってないんじゃないかしら」
 だから意地悪、というわけではないけどそう答える。
(だって、本当だし)
「え?」
 以外だと言わんばかりに硬直するが、私にはそっちの方が以外だ。
 遊びたくないと言っても遊園地内を連れまわすし、なぞなぞを出しても答えを教えてくれない事の方が多いし、仕事中でもお構い無しでじゃれてくるし、これで一体どう役に立っていると言うのだろう。
「でも、側にいて欲しいと思っているわ」
 役に立つとか立たないとかそんな事は関係ない。それでも側にいて欲しいと、そう言ったのに、
「えー、俺はアリスの役に立ちたいんだって。役に立つ奴だって思ってもらいたいんだよ」
 ボリスにはそれでは不服だったようだ。
 でも私にはそちらの方が不可解だ。
 普通役に立たなくても側にいて欲しいと言われたら嬉しいんじゃないかと思うんだけど。逆に役に立つとか立たないとか、そういう打算で付き合う方が相手にとって失礼な事のはず。
 だけどボリスは違うらしい。
 男心(猫心?)は難しい。
 でも、好きな人の役に立ちたいというのは少しわかる。
 役に立って、もっと好きになって貰いたい。もっと自分を見て欲しい。そして、役に立たなくては嫌われるのではないかという焦燥。
 私にも経験のある感情だ。
「別に役に立たないからって、嫌いになったりしないわよ?」
 だからそう告げると、
「そりゃあアリスはそういうことで飼ってるペットを捨てるような奴とは違うってわかってるけどさ」
 明後日の方向から答えが返って来た。
(ペットって)
 私はボリスをペットだなんて思ったことは無いのに。
それどころが猫だとも思えない。猫耳と尻尾は付いているが、彼は暦っきとした少年だ。
「でも俺は役に立ちたいの」
 何度と無く繰り返すその言葉の意味を少し考えてみた。
(ああ、そういうことか)
 理解できたような気がする。
 それなら今の私にだって理解できる。
『好きな子に格好いいところを見せたい』
 多分こういうことなんだろう。
 だけどそれにしたってわかり難い。
 男心なんて、本当にわからない。

FIN.

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