「わーい、お姉さんありがとう」
「ありがとう、お姉さん。大事に食べるよ」
ディーとダムが交互に言う。
その手には今私が渡したばかりのバレンタインチョコの包みが握られている。
「ねえねえお姉さん、僕達これから休憩だから一緒に遊ぼうよ」
「お姉さん暇でしょ、だったら僕達が遊んであげるから、行こうよ」
片手にバレンタインチョコ、片手に私の腕を双方から掴んで双子が笑いかける。しかしこの可愛さに惑わされてはいけない。
「そんなこと言って彼方達、先刻も遊んでいたじゃない」
この子達は隙を見てすぐに仕事をさぼろうとする。
「えーっと、それは」
「ほら、子供は遊ぶのも仕事の内って言うでしょ」
「そうそう、遊ぶのも仕事の内だから、僕達は先刻もちゃんと仕事をしていたんだよ」
そして口も達者だ。
(そういうのを屁理屈っていうのよ)
だけど言っても仕方が無いからそれは言わないでおく。
「残念だけどまだ渡さないといけない人がいるから後でね」
手にした紙袋を双子に見せると、
「それって、後はボスとひよこウサギのチョコレートだよね」
「ボスは仕方がないとして馬鹿ウサギになんてやることないよ」
想像した通りの反応が返って来たので、
「でもこれ、人参チョコよ」
予定通りに言い返すと、これまた予想道理、双子は袋に伸ばそうとしてた手を引っ込める。
「あ、そうだ、忘れてたよ兄弟。僕達今動物愛護週間やってるんじゃなかった」
「そうだった、あと二時間帯くらいは動物に優しくしようって決めてたんだ。自分達が決めた事くらい守らないといけないよね」
「うん、そうだよ兄弟。そういうことだから、やっぱりそれあの馬鹿……じゃなかった、ウサギにあげちゃっていいよ」
無論そのつもりだが、双子の言いようが面白くてつい微笑んでしまう。
「ええそうするわ。じゃあ二人とも、お仕事頑張ってね」
「うん、頑張るよ」
「またねお姉さん。今度は遊んであげるから楽しみにしててね」
「ええ、またね」
ディーとダムに手を振って分かれた後、庭を抜けて屋敷に足を運ぶ。
エリオットは分らないけど、今の時間帯は昼。この時間帯ならブラッドは自室のはずだ。
「アリス」
屋敷に入ったところでよく知った声に呼び止められた。
「エリオット、調度良かったわ。渡したいものがあったの」
小走りに駆け寄ってくるエリオットに笑顔をむける。
いつも仕事で慌しく中々出会えない彼に運よく出くわしたことも嬉しいが、私の姿を見て駆け寄ってくる姿を見ると自然に顔の筋肉も緩んで来る。
「先刻冬に行って来てね、調度バレンタインの催しをやっているお店を見つけたから……あら」
袋の中味を確認するがやはり無い。
(さっきは二つあった筈なのに)
袋が浅かった所為か片方を落としてしまっていた。
「渡したいものって、もしかしてこれか?」
焦る私にエリオットが茶色の包み紙に金のリボンの包みを差し出した。
「そう、これよこれ」
私は落し物に対してそう言ったつもりだったのだけど、会話の流れからエリオットはそう取ってはくれなかったようだ。
ちゃんと話を聞いていなかった私が悪いのだけど。
「ありがとう、アリス。あんたからバレンタインのチョコを貰えるなんて、すげえ嬉しい」
包みに手を伸ばしかけた私の行動を無視して、エリオットは包みを頭上に翳すような仕草をした。
「いや、あの、それはね、エリオット」
「わかってるって、義理チョコだって言いたいんだろ」
「えっと、そうだけど……」
(そうじゃなくて)
「おっと悪い、俺仕事に行く途中だったんだ、又後でちゃんとお礼するからさ」
「別にお礼は……じゃなくて」
「気にすんなって、季節限定の人参料理出してくれる店があるんだ、今度連れて行ってやるよ」
楽しみにしていてくれ、と言いたい事を言うだけ言ってエリオットはさっさと出て行ってしまった。
残された私はというと、途方にくれるしかない。
(これをブラッドに渡すわけにはいかないし)
薄いオレンジ色の包みを持って溜息を吐く。
(後で買いなおしに行ったほうがいいわね)
今から行ったのでは次の仕事に間に合わないから仕方がない。
チョコの包みを袋に戻して私は自室に向かうことにした。
「おや、アリスじゃないか」
「げっ、ブラッド」
正面から突如現れたブラッドについおかしな反応してしまった。
「げっ、とは何だ、げっとは。お嬢さんの使う言葉ではないよ」
「ごめんなさい、ちょっと考え事をしていて」
「ほう、私の顔を見るなり呻いてしまうような悩み事とは一体何なのかな」
優しそうに微笑んではいるが絶対に見逃してはくれないだろう、彼の笑っていない目がそう物語っている。
居た堪れなくなって目を逸らした先にはチョコレートの袋があり、
(やばい)
咄嗟に袋を後ろに隠すが、その行動が逆にブラッドの興味を引いてしまった。
「これは……、バレンタインのチョコレートかな。先程門番達が騒いでいたのはこれか」
一体何処から聞きつけたのか、ディーとダムにチョコを上げたことが既にブラッドの耳に入っていた。
(まさかそれを聞きつけて出てきた訳じゃあないでしょうね)
この男ならありそうで怖い。
大体そうでもなければ昼の時間帯にブラッドが自室から出てくるなんて考えられない、そう思うのは私の自惚れだろうか。
たんなる自惚れなら恥ずかしい憶測だけど、そう言い切れないのがこの男だ。
私もそう思えるくらいはこの世界に居て、ブラッドともそれと同じだけ時間を共有して来た。
「これが最後の一つという事は、私のチョコだと思っていいのかな」
「えっと、これは……」
「ふむ、それでは私にはチョコレートが無いということかな?」
そんなことは無いと分っていて業とらしい言い方をしてくる。
でもコレをブラッドに渡すわけにも行かず、かと言って黙っていては肯定と取られてしまいそうなので慌てて、
「そんなはずないでしょ」
そう言ってしまったので、もうどうする事も出来ない。
素直にエリオットに間違えて渡してしまったので今は無いと言った方がいいだろう。
そう覚悟して私が口を開く前に、
「え、ちょっと」
ひょいっと袋を取り上げられて、慌ててしまう。
「そんなに慌てる事はないだろ」
言いながら中味を物色し、ほんの少し顔を顰める。
「包装紙の色が頂けないが、まあ包装紙を食べるわけでもないしな。有り難く頂いておこう」
「いや、でも、それは」
「ん?しかしこれ以外にチョコは無いのだろ」
「そうなんだけど」
「それともやはり、部下達には用意していて私には用意していなかったという事かな」
「ちゃんと用意したわよ」
売り言葉に買い言葉だ。
「ではこれは私のチョコということだな」
話の流れからしてそうなってしまう。
「そうなんだけど、ちょっと事情――」
「もしかして私から先に言い出した事を気に病んでいるのかな。それならば悪い事をしたね」
(何でここの奴らは……)
こうまで人の話を聞かないのか。
「だからそのチョコはっ」
「ああ、構わないよ。別に屋敷の主人である私が最後だとか、そういう小さい事を気にしたりはしないからな」
(気にしてるのね)
だからここまでしつこく問いただしてきたのかと納得がいく。
「さてと私はこれから午後のお茶会を開こうと思っているのだが、お嬢さんもどうだ?」
「私は、これから仕事だから」
「そんなものさぼってしまえばいいだろう。だがまあ、屋敷の主がそれを言うわけにもいかないだろうな。仕方がない、私は一人寂しくお茶会をする事にしよう」
そういい残し私の横を過ぎ去ろうとする。
手には未だに私から奪ったチョコレートの袋を持ったまま。
「ブラッド」
焦って振り返るとブラッドは、
「ああ気にする事はない、この時間帯は元から一人でお茶を飲もうと思っていたのだからな」
こんな時に限って寛大な主人を気取らないで貰いたい。
「そうじゃなくてそのチョコレート」
「ああ、これは後で頂くとするよ。ありがとう、アリス」
柄にもなく何を焦っているのか、ブラッドは言いたい事を言ってさっさと庭に消えてしまった。
(何で?)
まさかチョコを返せと言われると思ったとか?
確かに言うつもりだったけど、それはブラッドが間違えたチョコを持っていってしまったからであって……。
何でここの人たちは人の話を聞かないのかしら。
聞かない相手も相手だが、言わない私も私だ。
ブラッドが持って行ったチョコは、エリオットに上げるはずたった人参リキュール入りの『人参チョコ』なのだと。
どうしてコレだけの事が言えなかったのか。
それはもう、間が悪かったとしか言いようがない。
FIN.