「真奈、これを」
山本勘助の差し出した物を見て、私は彼を見上げた。
「何?」
もしかしてと思うが訊かずにはいられない。
「チョコレートだ、今日はそういう日なのだろ」
今日は二月十四日、バレンタインデー。
確かにそういう日ではあるけど、
「逆じゃないの?」
「最近はこういうのも増えているらしいぞ」
そういう話をテレビなんかでは聞く事もあるけど、まさか自分の身に起きるとは思いもよらず戸惑ってしまう。
「まあいい、受け取れ」
「うん、ありがとう」
焦げ茶色の小さな紙袋の中味は片手サイズの小さな箱。茶色い包みに赤いリボン、シンプルだけど可愛い包装。
一体どんな顔をしてコレを買ったのかが凄く気になってしまう。
その様子を想像するとおかしくて、そして嬉しい。
嬉しいけど、
(先、越されたな)
そう思うと少し悔しい気分にもなってくる。
(まさか、ね)
買った場面を想像したすぐ後に、もう一つの可能性を思って彼を見上げた。
「まさかとは思うけど、これ」
(手作りとかじゃないよね)
自分で想像しておいて可笑しくなるが、無いと言い切れないのが恐ろし
「ああ、よく気が付いたな」
「え?」
袋を持つ手が固まってしまった。
衝撃的な事実を満面の笑みで伝えられ、どう反応していいのか分らない。
「別に、そこまでしてくれなくても良かったのに」
自分の声が硬いのが私にも分るくらいだから、この動揺は彼にも伝わったに違いない。
「そんなに気にする事はない、半分はついでだ」
「ついで?」
「ああ、安心したか」
いったい何のついでなのか、余計に混乱してしまう。
私が想像出来ないほど長い時を生きて来た人だけに趣味は多彩なんだろうけど、まさかこんな趣味まであるとは思わなかった。
でも良く考えると、あの時代にもその片鱗はあったのかもしれない。
(おにぎりとか、作ってたし)
「う、うん」
とにかく頷いてみるけど、その後の対応が分らない。
「どうしてもお前に食べさせたくてな」
「そうなんだ」
「ああ、苦労した甲斐があった」
「でも、ついでだったんでしょ?」
満足そうに微笑む彼にそう言うと、
「確かについでではあったが、さすがに種類が豊富で悩んだぞ」
「そんなに沢山あるんだ……」
一体どれだけレパートリーがあるかのと、羨ましさや妬ましさを超えて呆然としてしまう。
それと同時に悲しくなってくる。
(手作りにしなければよかった)
簡単なチョコレート菓子をお姉ちゃんに教えてもらってやっとの思い出作ったけれど、きっと彼のとは比べ物にならないはずで、そう思うと渡すのが恥ずかしくなる。
「ああ、だがお前が食べてみたいと言っていたのを思い出してな」
(え?)
私が食べたいと言っていた、そう言われてまじまじと袋を見る。
「以前テレビで紹介していた所で合っていると思うのだが、違ったか?」
私の反応に戸惑いを見せる彼以上に、私の方が戸惑っていた。
彼の手作りだと思い込んでいたそれは、実際は東京の某有名チョコレート専門店のものだったわけで。
手作りチョコは手作りチョコで複雑な気持ちだったけど、これはこれで気遅れてしまう。
「ううん、これ、これであってるけど」
でもこれは、特に私が食べてみたいと言ったのは、一粒三千円するという高級カカオのチョコレートのはず。
まさか食べる機会など無いと思っていたから言っただけで、それを覚えていて買ってきてくれるなんて思ってもいなかった。
箱の大きさから数は少ないとしても、それでもかなりの金額になる。
金額は関係ないというのは安い場合にのみ有効な言葉なのだと、この時初めて思い至った。
「そうか、ならば良かった」
そう言って満足そうに微笑む彼に、私はただ、
「ありがとう、大切に食べるね」
そう伝えるしかなかった。
+ + +
帰り道は意外に短い。
寄り道をしたとしても時間は限られていて、あっという間に時間は過ぎてしまう。
あの後普段通りに過ごした私達だったけど、何処かぎこちなく感じてしまったのは私の気持ちの問題のはずで、だけどそれを感じ取ったのか彼も何処となくぎこちなかったような気がする。
私の気がかりは一つ、私の鞄の中に入っている彼へのチョコレート菓子だった。
彼にこれを渡したくて待ち合わせたのに、結局私が貰っただけで未だ渡す事が出来ないでいる。
それもこれも私より先に、しかもこんな凄いチョコレートを渡して来た彼の責任だ。
だけどこれも単なる責任転嫁で、結局のところは私の気持ち次第。
(そうは言っても……)
あのチョコレートを貰った後にコレは無いと思う。
「真奈、どうかしたのか?」
「どうもしないけど……」
「だが、いつもより元気が無いぞ」
「そんなことないよ」
元気はある、ただ気分がのらないだけで。
(それよりも……)
「彼方こそ、何かあるんじゃないの?」
いつもと変わらないように見えるが何処か違う。何処が違うのかと聞かれるとはっきりは分らないけれど、
「今日は何だか落ち着きが無い気がする」
「……………」
彼が無言で立ち止まるから、私もそれに倣って立ち止まる。
「別に、たいした事では無いさ」
「たいした事では無いって事は、たいした事じゃない事はあったってことよね」
「……別に、お前に言うような事ではない。俺の事だからな」
切ない笑顔と突き放したような物言いが悲しくなる。
確かに私には関係の無い事かもしれないけど、
「そんな言い方しないでよ」
関係ないなんて言わないで欲しい。
「本当に、お前に言うような事じゃあ……」
同じ台詞を繰り返す彼に、何だか違和感を覚える。
切ないと言うよりも、
(照れているの?)
「もしかして、チョコレート?」
照れているような自嘲のような表情が返って来て、何とも言えない感情に襲われてしまう。
可愛いような、愛おしいような、そんな感覚。
「貰える物と思っていたからな」
それは、別に自嘲して言うようなことではないと思う。
「えっと、あのね……」
渡して来たくらいだから渡されることは考えていなかったのではないかとか、こんなものあげたら迷惑なんじゃないかとか、ぐるぐると考えていた事が一瞬で吹き飛んだ。
ちょっと待ってと言い置いて鞄を開けて目的の物を取り出す。
取り出しやすい位置に入れていたので時間は掛からなかった。
「はい、これ」
今更なのが恥ずかしくて無愛想な渡し方になってしまう。
「くれるのか?」
(普段は自信満々なくせに)
貰えると思っていたと言う割りに、彼の反応は驚いているそれで、
「今日は、そういう日なんでしょ」
「そうだったな」
ありがとうと言いながら受け取る彼の表情は隠しようも無いほど幸せそうな、見ているこっちが恥ずかしくなりそうな笑顔だった。
「だがあるのなら初めに渡してくれても良かったんじゃないか?」
「だって、あんなものを渡された後に渡すの恥ずかしくって」
「そうか」
小さく笑われて余計に恥ずかしくなってしまう。
「これは、手作りか」
「うん、そうだけど。だから味の保障はしないわよ」
「味の保障の無いものをよこすのか?」
「一応味見はしたけどね、でも所詮私が作った物ですから」
少し拗ねたような言い方をしてしまった私の頬にそっと彼の手が伸びてくる。
「冗談だ。お前が俺の為の作ってくれたものならば、それだけで十分だ」
だったら私は彼のその言葉だけで、それだけで十分報われてしまう。
「それにしても」
そう言うと、私の頬に置いてあった手を今度は自分の顎に置き、私のあげたチョコレート菓子を掲げてまじまじと見つめる。
「手作りか。手作りと言うのは意外にいいものだな、今度俺も作ってみるか」
「えっ」
私の動きが再度止まる。
さっきはただの勘違いだっけど、それが本当になるかもしれない。
「あまり、無理しなくていいよ」
ほんの少し食べてみたいとは思うけど。
でもそれ以上に、先ほどの悪夢が実現しない事を願わずにはいられない。
了