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月の下、笛の音を請う
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「ねえ、翠炎。じゃんけんしない?」
「じゃんけんとは、どういったものなのでしょう?」
 あ、そうか。
 この時代にはじゃんけんってまだ無いんだ。
「えっと、グーとチョキとパーがあってね……」
 手をグー、チョキ、パーとかえながら説明をしていく。
「御使い様の世界には、面白い遊びがあるのですね。こんなもので勝ち負けを決めるなんて」
 翠炎は感心したように呟き、グー、チョキ、パーを繰り返している。
「ねえ、やろ?」
「はぁ、構いませんが」
「負けた方は勝った方のお願いを一つ聞くのよ」
「え、ちょっと待って……」
「じゃんけんぽんっ」
 問答無用で掛け声を掛けると、つられて翠炎も手を出した。
 咄嗟に出す手はパーだって良く効くけど、それはこの時代の人も同じみたいだ。
 翠炎がパーで、私がチョキ。
「私の勝ちよ」
「……う」
 いきなりの、しかもたかがじゃんけんなのに、負けた翠炎は少し悔しそうにしている。
 こういうところはやっぱり男の子なんだろうか。
「それで御使い様は、私に何をお願いしたかったのですか」
 微笑を浮かべながら問われ、今度は私が唸る番だ。
 私が何か頼みたいことがあって『じゃんけん』を持ち出したことなど、既にお見通しというわけだ。
「笛を、吹いてもらいたかったの」
 私が言うまで黙って待っているだろう、その間の沈黙に耐えかねて、早々にお願い事を口にする。
「そんなことでしたら、態々勝負など持ち出さずとも叶えて差し上げますよ」
 翠炎が笑みを濃くする。
 その顔を見ると何だか恥ずかしくなってしまい、翠炎の顔を直視できなくなってしまう。
「しかし、御使い様。こういうやり方は感心できませんね」
「ごめんなさい。だまし討ちみたいで、気分悪いよね」
「いいえ、そうではありません」
 翠炎は少し慌てて訂正を入れる。
「そうではなくて。もし私が勝って、貴女に無理難題なお願いをしたらどうするつもりだったのですか」
「うーん。多分翠炎は私にそんな無理難題なお願いしないんじゃないかな」
「そうではなくて。いえ、確かにそんなお願いはしませんが……」
 あ、困らせてしまったみたい。
 そんなつもりで言ったんじゃなかったけど、ちょっと意地悪だったかもしれない。
「でも、もしそうなったら……。出来る限り頑張ってやってみるわ。それでも無理なようなら、もう少し簡単に出来ることにお願い事を変えて貰うと思う」
「そう、ですか」
「うん」
 何か可笑しなこと言ったかな?
 複雑な顔をする翠炎に笑顔で頷くと、翠炎も笑顔を返してくれた。
「うーん?」
「どうしたのですか」
「やっぱり、お願い事はいいや」
「何故ですか」
「だって、こういうの良くないでしょ」
 私が勝手に言い出した事だし、そんなことでお願いを聞いて貰うなんて、よく考えたら厚かましい気がする。
「構いませんよ。これくらいの可愛いお願いでしたら、いくらしてくださっても」
 そこまで言うと翠炎はいったん言葉を切り、「それに」と続ける。
「御使い様は相手の人となりを良くご理解の上でおしゃっているようですので、私の心配は杞憂のようです」
 私は翠炎の言ったように深く考えていたわけではない。それなのにそこまで言われると居た堪れなくなってしまう。
「では、御使い様のご要望にお答えして一曲……」
 そう言って笛を取り出した翠炎だったけど、そこで動きが止まってしまう。
「翠炎?」
 どうしたのかと覗き込むと、翠炎の穏やかな笑みが目に飛び込んできて鼓動が大きくなった。
 咄嗟に後退ってしまう。行動が完全に不審だ。
 絶対に変に思われたよね。
「御使い様」
 私の動悸が治まらないうちに呼ばれ、ぎこちなく振り向くと、
「じゃんけん、ぽん」
 急に言われてつい手を出してしまった。
 今度は私がパーで、翠炎がチョキ。
「私の勝ちですね、御使い様」
 うっ……、笑顔が眩しんですけど。
 先程の負けがそんなに悔しかったのかと、そう思えるほどの笑顔を浮かべている。
「勝ったほうは、負けたほうにお願い、出来るのでしたよね」
「今回はそんな約束してなかったけど……」
 さっきだって私が勝手に言ったようなものだ。
「いいわ。私に出来ることならだけど」
 さっき翠炎にも言ったように、翠炎が私にそんな無理難題を言ってくるとは思えない。それだったら断ることも無いはず。
「では御使い様、こちらに座っていただけませんか」
 縁台を指してそれだけを言われた。
「それだけ?」
「はい、それだけです」
「そんなことなら、はい。座ったわ」
「ありがとうございます」
 これだけのことでそんなに喜ばなくても。
 そう思ってしまうほどの笑顔を向けられ、顔に熱が集まってくる。
 赤くなっている顔を見られるのが恥ずかしくて俯いていると、ふと背中に重みが掛かる。
「翠炎?」
「どうか、そのままで」
 私の背中に自分の背中を預けて、翠炎は笛を吹き始めた。
 夕日はほとんど沈んで、空は紺と紫と。そしていつの間にか空にある月が、優しい光を落としている。
 そんな月明かりの下。
 切なくなるほどの笛の音と、背中から伝わる温かさが、私の心に染み渡っていった。


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