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あなたの名前を呼びたいの
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「ねえ翠炎……」
(じゃなかった)
 現代に帰ってきて出逢った翠炎の生まれ変わりは翠という名前なのに、気を付けないとつい過去世の名前である『翠炎』と呼んでしまう。
 その度に呼び直そうとするのに、
「はい」
 翠は呼びなおす前に返事をしてしまう。
 彼には戦国時代にあったことを話していないのに、いつも何も聞かずに応えてくれる。
「何で返事するの」
「何故って、呼びませんでしたか」
「呼んだけど……」
 でも翠とは呼んでない、ちゃんと名前を呼べていないのに。
 ちゃんと呼べない私が悪いのに、返事をする翠に腹が立ってくる。
「何でもない」
「真奈」
「何でもないの、ただ呼んだだけ」
 それだけ言って立ち上がる。
 前に雑誌で見つけたカフェに行ってみたと私が言ったから、こうして一緒に来てくれたのに。
「ごめんなさい……、帰る、ね」
 それだけ言って店を出てしまった。
 あのまま一緒にいたら酷い事を言ってしまいそうだったから。
(私、最低だ……)
 どっちにしても酷い事をしている。
 翠が私の名前を呼んで慌てて追いかけて来るけど、私に止まる余裕は無かった。
「真奈」
「……………っ」
 走っているのとたいして変わらない速さで歩いていたから、腕を掴まれた瞬間痛みが走る。
「ごめん」
 顔を顰める私に翠は慌てて謝り手の力を緩めるけど、放しはしなかった。放したらまた逃げると思っているのかもしれない。
「急にどうしたんですか」
 俯く私の顔を心配そうに覗き込んでくる、私を気遣ってくれるその顔を見ると胸が苦しくなる。
 何も言わずにただ俯く私を優しく宥めながら、ゆっくり話が出来るようにと近くの公園のベンチまで来て私を座らせてくれた。
 その優しさが、気遣いが翠炎を思わせて、同じ心を感じてしまって余計に苦しくなる。
 この人は翠で、翠炎じゃなくて、初めは翠炎との思い出と何も知らない翠との間で戸惑ったけど、今は『今』の彼が好きだと思えるようになったのに。
 翠炎と呼ぶたびに翠を翠炎としか見ていない、そう突きつけられるようで苦しくなる。誰が責める訳でもないのにその思いが段々強くなって来る。
「翠」
「はい」
「翠」
「はい」
「翠、翠、翠、翠」
「真奈」
 隣に座った翠を何度も何度も名前を呼ぶ私に、何度も何度も応えてくれる。
 不意に名前を呼ばれ、顔を上げて翠を見る。
「ようやくこっちを向いてくれた」
 本当なら怒ってもいいのに、不満など何一つ無いとでも言うように優しい笑顔を浮かべていた。ただ少しだけほっとしたように瞳を揺らしている。
「翠」
「どうしたんですか」
 決して答えを急かしたりせず、私が口を開くのを辛抱強く待ってくれる。
「あのね……」
「はい」
「私ね、あなたの名前を呼びたいの」
 翠は何も言わない。きっと翠には理解できない事を言っている。
 だけど私には他に何て言っていいのか分からないから、今言葉に出来る精一杯で翠に伝えた。
「翠って、ちゃんと呼びたいの」
 翠炎じゃなくて、
「翠って……」
「真奈」
 名前を呼ばれ、俯きかけた顔を再び上げる。
 翠は少し困惑したようなそんな顔をして私を見ていた。
 翠炎じゃなくて、
「……あなたが好きだから。私が好きなのは『翠』だから」
 これが私の言える精一杯。
 きっと余計困惑させてしまったと思って翠を見ると彼の表情はいつもの、ううん、いつも以上に優しい笑みを浮かべていた。
「私は、貴女に名前を呼ばれるのが好きです。それが翠であっても、翠炎であっても。何故貴女が私を翠炎と呼ぶのかは分かりませんが、でもそう呼ばれるととても懐かしい、そんな気分になるんです。だから返事をする度に貴女が表情を曇らせるのを分かっていても、つい返事をしてしまう。でもやはり、貴女に『わたし』が好きだと言って貰えると、嬉しいみたいです」
 そして翠は私を抱きしめて、耳元で囁く。
「ありがとうございます、『わたし』を好きだと言ってくれて」
 胸が痛む。鼻の奥がツーンとして、滲む視界を誤魔化すように目を閉じて翠の肩に頭を埋めた。
「私こそ――」
 もう一度私と出会ってくれて、翠として私を好きになってくれて。

「ありがとう、翠」


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