秋夜の家で本格的に薬師の手伝いを始めて半年は過ぎたと思う。
冬の間は雪が深く薬草を取りに行けなかったけど、その雪も漸く溶け花の咲き誇る季節がやってきた。
私は最近何とか薬草の種類を覚え、春日山の山道沿いにある薬草くらいなら一人でも取りに行けるようになっていた。
「秋夜」
「何だ?」
「痛み止めの薬が少なくなってるの」
「そうか、今年の冬はいつもより患者が多かったからな」
この湿布は打ち身や捻挫に使う薬だけど、腰痛、関節痛などにも良く効くみたいで、今年の冬はそのてのお年寄りが押し寄せて例年より薬の減りが早かったらしい。
瑠璃丸君が言うにはその原因になっているのは実は私みたいで、
(何だか申し訳ない……)
のだけど、秋夜は、
「手の施しようが無いほど悪化してから来るより、少し大袈裟だというくらいの方がいい」
と言ってくれる。
とはいえ全く責任を感じずにもいられないので、出来る範囲でのお手伝いは進んでやりたい。
それに少しでも秋夜の役に立てたら嬉しいから。
「この薬草なら生えているところ知ってるし、私取って来るね」
春とはいえまだ外は肌寒い、
「姫にはこの寒さは厳しいでしょう」
と綾姫様が用意して下さった羽織を取ると、
「では俺も行こう」
丸薬を作っていた秋夜が立ちあがった。
「私一人でいいよ」
「いや、しかし」
「薬草取りって言っても私が一人で行く範囲は春日山城内なんだから、危険な事はないよ。それより秋夜は、それ、今日中にやっちゃった方がいいんでしょ?」
一度加工しかけたものをそのままにしておくのは良くないという事くらい私にだって分る。
「暗くなる前には戻るから」
「わかった、では頼む」
「うん、じゃあ行って来ます」
三和土に降りて草鞋の紐をしっかりと結び戸口に手を掛けた時、
「せめて瑠璃丸に――」
腰を半分浮かせ焦った様子の秋夜に少し噴出しそうになる。
それを我慢して、
「瑠璃丸君は今任務で国外に出てるんでしょ」
先の戦で一人前と認められた瑠璃丸君は、最近少しずつ国外の任務もこなすようになっていた。
帰って来る度に、
「御使い様、これお土産」
と言って珍しいものを持って帰って来てくれる。
その度に秋夜や暁月に、
「遊びに行っているわけじゃない」
「任務に集中しろ」
と怒られていたけど、私はそんな瑠璃丸君が可愛くて仕方がない。
(弟みたいでほっとけないし)
つい庇ってしまい私まで二人に怒られてしまう。
それでも最近は暁月も、
「まあこれだって情報収集の一環になってるし……」
なんて言って認めているようだし。
秋夜だけが未だにいい顔をしないのは、きっとその度にここで御飯を食べて行くからだと思う。
別に御飯くらい良いと思うんだけど、
「真奈は瑠璃丸に甘過ぎる」
と秋夜は余り良い顔をしない。
(雅刀がいるときはいいけど……)
一人になってしまった刀儀さんの家で御飯を食べるのは寂しいだろうとつい御飯にさそってしまう。
秋夜が瑠璃丸君の事を軒猿としてこのままじゃいけないと心配しているのは分る。
刀儀さんの事で責任を感じているのも分るけど、それは私だって同じ。
(ううん、元はといえば私が……)
それにああいう事があったから終夜が私に対して過保護になるのも分るけど、
「秋夜は心配しすぎよ、私だって子供じゃないんだから」
「そんなことは」
「あるの。暗くなる前には帰ってくるから」
+ + +
と言って出て来たのに……。
薬草のついでに山菜も採っていたら夢中になり過ぎた。
いつの間にか山道から離れてしまい、帰ろうと道を探している間に辺りは真っ暗になってしまった。
「秋夜心配してるかな」
出かけの様子だと心配しているに決まっている。
下手に動くと危険だから暫く近くの木の根元に腰掛けていたけど、これではどうにもならない。
明日の朝までここに居る訳にもいかない。
「呼んだら、来てくれるかな」
いつでも呼べば来てくれたけど、あれは謙信様のご命令で『御使い様』としての私を護衛してくれていたからで、
(それに……)
迷惑を掛ける事になる。
「よし」
膝に手を付いて立ち上がり、籠を担ぐ。
「来た方向は確かこっちだったから」
月が出ていたおかげか辺りが少しだけ見える。
といっても山の中に差し込む月明かりなんてほんの僅かだけど。
定かではない記憶を頼りに山中を戻ると、
「あ、ここ知ってる」
よく知っている山道からはまだ遠いけど見知った景色に少しだけ安心する。
(これなら何とか帰れそう)
息を吐いた矢先、
「な、何っ」
低い唸り声が聞こえて振り返る。
(野犬?)
まだ遠いけど数頭分の唸り声とか息遣い、気配というのか、そういうのを感じ取って体が恐怖で硬直してしまう。
気配のする方向から目を離すことも出来ず、震える足は勝手に後ろに下がって、
「きゃっ」
木の根に引っ掛かって後ろに倒れこんだ瞬間、獣の動く気配がした。
「しゅ、秋夜っ!」
無意識に秋夜の名前を叫んだ。
来るだろう痛みに恐怖して頭を抱えて縮こまり目を閉じるが、
―キャンッ、キャン―
痛むどころか、獣の方が鳴き声を発して去って行った。
恐る恐る目を開けると、
「秋夜……」
見慣れた姿に安心して涙が滲みそうになる。
「大丈夫か?」
差し出された手に掴まって立ち上がろうとするけど足に力が入らない。
「何処か怪我をしたのか?」
慌てて膝を着き覗き込んでくる秋夜に、今度は私が慌ててしまう。
「違うの、怪我じゃなくて……。ただちょっと、腰が抜けて」
自分の情けなさに恥ずかしくて俯いていると、ふわりと体が浮いて、
「秋夜!?」
「暴れるな、掴まっていてくれ」
あっという間に秋夜に抱きかかえられていた。
片腕で子供を抱えるような体勢はお姫様だっこよりましだけど、
(やっぱり恥ずかしい)
だけど余計な迷惑を掛けたくないから、言われるままに秋夜の首に腕を回してしがみ付いた。
「何故すぐに呼ばなかった」
暫く無言で進んでいたが、山道に出たところで尋ねられた。
「呼べばすぐに行くと言ったはずだ」
私が答えを悩んでいる間に沈痛な声が再び聞こえてくる。
秋夜が責めているのは私ではなく、きっと自分自身だ。
そう思うと私自身が責められるより悲しくなる。
「秋夜に迷惑かけたくなかったの」
それなのに出てきたのはこんな台詞だった。
それに対する応えは無くて、呆れられたのかと不安になり、
「余計な気を使うな、その方が迷惑だ」
その反応に泣きたくなった。
(そんな言い方することないじゃない)
確かに意地を張って余計な手間を掛けたのは分るけど。
秋夜の言葉ではなく、迷惑しか掛けられない自分に腹が立って、悲しくて、そうなると秋夜の負担にしかなっていない今の状況が嫌になる。
「ごめんなさい。……もう大丈夫、自分で歩けるよ」
有無も言わさず飛び降りると、秋夜の前を歩いて三の丸に続く道を行く。
ここまで来れば月明かりだけで十分歩く事が出来るし、迷いようも無い。
「ごめんなさい、迷惑をかけるつもりは無かったの」
沈黙に耐えかねてそんな事を言ってしまう。
ただ役に立ちたかっただけなのに、どうしてだか上手くいかない。
秋夜がどんな顔をしているのかを見るのが怖くて振り向くことが出来ないから、必然的に前を向いて歩く事になる。
「真奈」
前触れも無く腕を掴まれて、振り返ると焦燥を浮かべた秋夜の目と合い、そのまま逸らせなくなる。
「俺は話すのが巧い方ではないから、その所為で傷つけてしまったのかもしれない」
何か言いたいのだがどう言っていいのか分らない、その戸惑いが伝わって来るから、私は何も言わずに次の言葉を待つ事にした。
その間に秋夜は何度か口を開こうとしては閉じを繰り返す。
そうして一度小さく息を吐き、
「俺が言いたかったのは迷惑を掛けるなということではなくて、俺相手に遠慮をする事はないということで……」
なんだかそわそわと落ち着きが無い、こんな秋夜は珍しい。
(もしかして照れてるの?)
暗くて表情まではよく分らなかったけど、そんな感じがする。
「もう少し、頼って欲しい」
秋夜がそんなふうに考えていたなんて思ってもいなかった。
「もう十分頼りにしてるのに」
いつも守って貰ってばかりで申し訳ないくらいだ。
それに、
「私はもう御使い様じゃないよ」
だから普通の女の子としてもっと普通に接して欲しい。
「わかっている」
そう言う声は静かだけどやっぱり少し照れていて、暗くてよく見えないのに秋夜の少微笑む顔が見える気がする。
「だから軒猿としてではなく、一人の男として頼って欲しい」
同じ気持ちなのが嬉しくて、月影が微かに映し出す笑顔が無愛想に見えるけど本当は優しい彼の心を映しているみたいで。
それだけでさっきまでの不安は消え、とても幸せな気持ちになれた。
了