夕暮れ時、私の家までを並んで歩く。
空を覆うのは優しい色の紅なのに、晩秋の風が切なさを誘う。
その夕日の紅に照らされて、彼の白い髪が優しい色に染まっていた。
戦国時代に敵として出会いながらも引かれた彼、山本勘助は別れ際の宣言どおり四五〇年の時を生き私に会いに来てくれた。
いつも何処か寂しい目をしていたけど、今はただ優しい目をしている。
私の隣を歩く彼の横顔を見上げると気配に気付いたのか、彼もその片方しかない瞳を向けてきた。
「どうした?」
「別に、なんでもない」
「そうか」
本当に何でも無かったんだけど、すぐに視線を離されると少しだけ寂しい。
(寂しいのは、私だけ?)
ふと、戦国時代から戻って来て彼がいなかった間の事を思い出す。
あの時はもう一度会えるかどうか分からなくて、不安で、寂しくて辛かった。
「ねえ……」
「ん?」
再び視線が私に降りるが、私は視線を合わすことなく横目で見上げて言葉を紡ぐ。
「私に会えなかった間、寂しくなかったって、言ったよね」
「ああ、お前に会えることは分かっていたからな」
即答だ。
その言葉には欠片の迷いも無い。
「それがどうかしたのか?」
唐突に話題を振ったまま黙り込んでしまった私に、そう問いかけてくる。
それしか言いようがないのは分かるけど、無神経とさえ言える反応に少しだけ腹が立つ。
この男にはいつも振り回されてばかりだ。
「私は、……し…った」
零れるように漏れた言葉は彼には届かず、紅く染まった白い髪がさらさらと傾く。
夕焼けの色は、綺麗で優しくて、物悲しい色。意味も無く切なさを誘うから、だからこの感情も今だけのものかもしれない。
反応の無い私を訝ったのか、彼は再び問いかけて来た。
「どうしたんだ、真奈」
名前を呼ばれて首を振る。「何でもない」と言おうとしたのに、何故か言葉が口から零れ落ちた。
「私は、寂しかったよ」
立ち止まってしまった私に合わせ、彼も足を止める。
「すまなかったな、そこまで待たせたつもりは無かったんだが」
苦笑を浮かべる彼に、私は首を振った。
「そうじゃないよ、そんなに待ってもいない……」
待ってないけど、
「でも、寂しかったよ。もう、会えないと思っていたから」
正直に告げると、彼は少しだけ寂しそうに瞳を翳らせ、
「そうか」
ため息と共に呟き、苦笑した。
「オレは信用が無いのだな」
「無い、というよりも無かったって言うのかな」
暗くなってくる雰囲気を変えるために態と戯けた言い方をする。そうすれば不意に沸いて出た正体不明の寂しさも薄れていく。
「だってあんな、別れ際に唐突に言われて、約束したわけでもなかったし。それに四五〇年だよ」
「ああ、四五〇年だ」
何気なく言った言葉だったが、その長さに一瞬言葉を忘れる。
「……長かった、でしょ」
「いいや、あっと言う間だったさ」
さらっと言ってのけた。その表情には微笑みさえ浮かべている。
「限りのある時間というのは、過ぎてしまえば早いものだ」
「そんなもの?」
「ああ、そんなものだ」
「じゃあ、本当に寂しくも何とも無かったんだ……」
何と言うか、
「つまらない」
そう、つまらない。その言葉が一番あっている。
「……それは、そういう意味だ」
剣呑に目を細めて私を見下ろす彼の、言いたい事はよく分かる。
四五〇年もかけて会に来て、それに比べたらほんの少ししか待っていなかった相手に「寂しかった」と文句を言われ、挙句の果てがこれでは報われない。
だけど私だって思うところはある。
「だって、私だけ寂しかったなんて不公平よ」
この人が寂しい思いをしていなくて良かった、そう心から思うけど、でも私だけが寂しいのは面白くない。
先刻だってそう、合った目をすぐに逸らされて寂しいと思ったのは私だけ。
「不公平、か」
拗ねた顔をしてみせる私を数瞬思案気に見ていた彼だが、すぐに含みのある笑みを浮かべる。
「それはオレの台詞だと思うがな」
「どうして?」
「お前はオレがいなくとも、平気そうだからな」
言っている意味が分からず訝しむ。
私は今さっき「あなたがいなくて寂しかった」とそう言ったばかりなのに、どうしてそんなことを思うのだろう。
「オレがいなくとも、お前はいつも笑っているだろう」
だから自分などいなくてもいいのではないかと、そう続ける彼はどことなく憮然としている。
先刻の私と同じ、「つまらない」という顔だ。
それが無性に可笑しくてつい笑ってしまい、彼の憮然とした顔が更に酷くなる。
緩んでしまった顔を一度引き締めて、改めて笑みを浮かべた。
「それは、あなたがいるからよ」
今度は彼が首を傾げる。
「会いたい時にいつでも合える所にあなたがいるから、だからあなたがいない時だって笑っていられるの」
彼と再会するまでは何をしても悲しくて、誰といても寂しかった、その事を思い出す。
今は違う、会えると分かっているから辛くない。
(なんだ)
そういうことかと納得する。
会えると分かっているから寂しくない、彼の言った事が漸く分かった。
彼のほうも思うところがあったのか、「そうか」と言って頷き、何がそんなにというくらい幸せそうに微笑んだ。
その笑みを見ていると私まで幸せな気分になって、「もっと見ていたいと」思ってしまう。
もっと、ずっと、そう思っているのが私だけじゃなければいいのに。
そう思っていると、ふと手を差し伸べてきた。
「帰るぞ、遅くなる」
この時期の夕暮れ時は短い、それは分かっているけど、そんなにあっさり言われてしまうとやっぱり少し寂しい。
「そんな顔をするな」
差し出されていた手がそっと私の頬に触れる。
「そんな顔をしていると、帰したくなくなるのだろう」
「え?」
驚いて伏せかけていた顔を上げると、彼が笑みを浮かべた。
触れられている頬が次第に熱くなっていく。
「離れがたいと思っているのは、俺だけではなかったようだな」
そう言いながら私の耳元に口を寄せる。
そうして口付けるように、甘い囁きが私の耳に落ちた。
「真奈、オレと来るか?」
顔の熱が一気に上がり、それは頭の中をも沸騰させて、何と答えていいか分からなくなる。
でも断片的に浮かぶ答えの中に、『否』を告げるのもは一つも浮かんでこなかった。
了