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両手一杯の土産話を
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 少女が去った後、泉は再び静けさを取り戻した。
 風により水面に微かな波が立ち、秋に色付く木の葉がざわめいている。
 少女、白羽真奈が彼女の時代に帰るのを見送った後、道鬼斎山本勘助は暫く泉を眺めていたが、風も止み小波さえ立たなくなった泉に飽きたかのように踵を返した。
 泉の森から山道に差し掛かったとき、道鬼斎は歩みを止めた。
 気配を悟り振り返った先に関東管領上杉政虎を捕らえ、道鬼斎は睥睨する。
「無事帰ったか」
 政虎は道鬼斎の視線を受け流し、それだけを口にする。
「……関東管領殿はつくづく良い趣味をお持ちのようだな」
「別に覗いてはおらんよ。本来俺が御使い殿を見送ろうと思うておったのに、お前がおったので気を利かせて遠慮してやったのだ」
「ほう、それは感謝しなくてはならぬようだな」
 しかしその物言いからは感謝の意など微塵も感じられず、政虎は軽く肩を上げて苦笑する。
 道鬼斎はその様子を鼻で笑うと、止めていた歩みを再び再開させた。
 そしてそのまま過ぎ去ろうとする道鬼斎に、しかし政虎は再度声を掛ける。
「これからお前はどうするのだ」
 道鬼斎は無言で政虎を振り返り、「はて」と首を傾げた。
 何故そんな事を聞くのかと、そして同時に面白い男だと思う。
「さて、どうするかな」
 問うてはみたものの、まさか道鬼斎が応えるとは思っていなかった政虎は、少なからず驚き微かに目を丸くした。
「信玄狸の元に戻ることも叶うまい」
「ふむ、オレは死んだことになっておるらしいからな」
 そう言って道鬼斎は愉快そうに目を細める。
 裏切りの身では武田に戻るわけにはいかないが、元より戻るつもりは無いといった風情である。
「ならばどうだ、俺の下へ来ぬか」
 今度は道鬼斎が目を丸くする。
 そうして暫く熟考した後に、
「……やはり面白い男だな、上杉政虎。興味深くはあるが、だがご遠慮申し上げると言っておこう」
「ふむ、ふられてしまったようだのう」
 政虎はさして残念とも思っていない口ぶりで、しかし態度だけは残念そうにそう嘯く。
 道鬼斎はその道化た態度を鼻で笑い、
「戯言を」
 素気無く一言を口にする。
「これでも半ば本気で誘っておったのだかな」
 苦笑を交えて言った言葉は先ほどよりも誠実さを増すが、それでも道鬼斎は鼻先で笑って見せる。
「まあ仕方がない。それで、どうするのだ」
「お前には関係の無いことだろう」
「ふむ、それも道理よのう」
 素気無い道鬼斎に政虎は神妙に頷いてみせる。
 その余りにも芝居がかった態度に睥睨しながらも、道鬼斎は上杉政虎という男に興味がわいて来る。武田信玄も面白い男だったが、違う意味でこの男も面白い。
もっと堅物かと思っていたが存外に人間味のある男だと、話してみるとそう感じるものがある。
「……尾張に向かおうと思っている」
 今後の行動を告げる義理などなかったが、政虎がどういう反応を示すかに興味がわいた。
 政虎は尾張という地名を聞き「はて」と惚けて見せるが、その目の奥が鋭い光を帯びたのを道鬼斎は見逃さなかった。
 そしてそのまま政虎の返答を待つ。
「織田信長か」
 尾張の大虚けと言われていた男だが、その勢いは侮ることが出来ない。
「ああ、今川を破ったというあの男、興味がある」
 歴史を知らないと言った真奈が『織田信長は本能寺で死ぬ』と言っていたのだ、この男は今後この戦国の世を動かす大きな流れの中核を担うに違いない。
 ならばそういう男の周りを見てみるのも悪くはない。
「そうか」
 道鬼斎の思惑など知りようもない政虎は、神妙な面持ちで一言そう告げる。
 上杉とて今の織田の勢いを楽観することは出来ない。とはいえ目下の敵は武田だ。いくら軍師の道鬼斎が信玄の下を離れたとはいえ、それで武田の状勢が大きく変わるとは思えない。
「何なら繋ぎを付けてやってもいいぞ」
 苦虫を噛み潰したような顔をしていた政虎にそう告げると、思いもしない申し出に政虎は目を丸くした。そしてすぐにその表情を崩す。
「ははは、すぐにでも飛びつきたいところではあるが、お前に借りを作るとなると後が怖そうだ」
「ふん」
 あくまで道化て見せる政虎に道鬼斎は、「どうだかな」と態度で応じる。
 そんな道鬼斎に政虎は「それはよいとして」と言い置き、
「次来る時は酒でもどうだ。旅の話を肴に旨い酒でも飲まぬか」
 そう言って酒を飲む仕草をする。
 一見気安い誘い文句だが、政虎は遠回しに他国の状勢を教えろと申し出ているのだ。
 それに対し道鬼斎は、
「……まあ、いいだろう」
 逡巡の後そう答えた。
 情報を提供する義理はないが、上杉のとりわけ政虎やその忍び達の行く末ならば真奈へのいい土産話になるだろう。
 それならばこの者達と付き合っていくのも悪くはない。
「気が向けば付き合ってやる」
 片頬を上げてそう告げ、山道に目をやる。
「達者でな」
 歩き出そうと一歩出しかけた時にそう声を掛けられ、道鬼斎は苦笑する。いくら今はもう敵ではなくなったとはいえ、何とも気安い男だと。
「お前こそな。早々にくたばって貰ったのではオレの楽しみが減る」
 道鬼斎の物言いに政虎は「相変わらずだ」と呆れて見せるものの、その表情は小気味の良いものを見るそれだ。
「御使い殿によろしく伝えてくれ」
 最後の最後にそう告げられ、道鬼斎はほんの一瞬目を見張る。
 聞いておったわけでも無いだろうに、本当に食えない男だ。
 そんな事を思いながら道鬼斎は政虎を見て不敵に笑う。
「まあ、覚えておったらな」
 それを受けて政虎も笑みを浮かべたが、道鬼斎はそれを目にする事無く山道に足を向ける。
 先ずは尾張、そしてその次は何処に行こうかと、道鬼斎は考える。
 一旦上越に顔を出すのも良いかもしれないし、京や大阪の動きも気になる。伴天連が多く入って来ていると聞くので、珍しい物も見つけられるかもしれない。そういえば西の方では毛利が勢力を伸ばしていたばずだ、このまま行けば関西の勢力とぶつかるかもしれない。彼の地の銀山を欲する者はいくらでもいるだろう。
 後はもう一人、気になる人物と言えば徳川家康だが、徳川、徳川、記憶を掘り起こしてみるが思い当たる人物がいない。
 もしかするとまだその姓を名乗っていないのかもしれない。
 何にせよ面白そうだと、そう道鬼斎は思う。
 そして450年後、再び真奈と出逢う時の事を考えると胸が躍る。
 今まではどうでもいいと思っていた、ただの退屈しのぎであったことが、それを思うだけで急に色を帯びてくる。

 楽しみだ。
 さて何を話そう。
 まあいい、450年もあれば土産話には事欠くまい。

 了

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