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食事の時間
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「ほら」
 椅子に腰掛けた夏野に敏夫は何かを放って寄越す。
「な、ちょっと、何投げてんだよ」
 夏野はソレ、敏夫の手から放れた輸血パックを慌てて掴んだ。
 医者のくせに……。
 これがどういうものか良く知っているのだろうに。
「そうでもしなきゃ、夏野くん受け取らないだろ」
 ニヤリと笑われて歯噛みする。悔しいがその通りだ、完全に図られた。
「ちゃんと食っとけよ、いくら普通の食事でも生きていけるっつっても、ふらふらしてるぞ」
 軽い口調で言うが夏野の体を心配していることが伝わってきて、余計頑なになってしまう。
「別に人を襲えって言ってる訳じゃない。逆にそんなことをしようものなら、いくら夏野くんだってこの俺が許さない。だがそれは献血された血液だ、誰かから奪ったもんじゃない。だから安心して食えよ」
 屍鬼は許さないと言っていたくせに。
 結局この人は甘いんじゃないかとさえ思う。
「だけどそれは、俺たちに食わせるためのものじゃない。献血した人だって、こんなことの為にしたわけじゃないだろ」
 敏夫から視線を逸らし、手元にある献血パックを見る。
 別に献血した人全てが誰かの為に、と思ってしたわけではないだろう。中には暇つぶしだったり、血液検査の結果目当てだったりする人もいるのだろう。
 一人で悩んでいる夏野を見て、敏夫は溜息を吐く。
 呆れが混じるそれは、熟考していた夏野の耳朶にも届いた。
 敏夫はづかづかと夏野に近付き、その腕を掴んで椅子から降ろしそのまま組み伏せた。
「……っ」
 背中に衝撃の痛みが走り、足掻く前に馬乗りにされ胸元を押さえつけられれば手も足も出ない。
 ご丁寧に脚で腕の動きも封じられている。
 何でこんなに慣れてんだよ。
 その手馴れた動作に、夏野は一瞬状況も忘れ感嘆し、同時に呆れもする。
「ぐだぐだ言ってっと、無理やり食わすぞ」
 不意に視線を上げると間近で視線が交わり、夏野は息を呑む。
「先生?」
 激しい怒りを顕わにする瞳の奥に、微かに沈痛の色が見え隠れする。
 何で、あんたがそんな目をしてるんだよ。
 夏野は、この目を知っている。
 何処にも味方がいない。そう思った時の、もしかしたらと思った、そのことが打ち砕かれた時のあの目だ。
「足手纏いなら必要ない。奴らと戦うと、奴らを滅ぼすと決めたんだ、覚悟ぐらい出来ているんだろ?」
 酷いことを言っている自覚が敏夫にもある。
『人間ではなくなる覚悟』『屍鬼を狩るために、屍鬼になる覚悟』
 人間の自分が、どの口でそれを言うのかと。
 敏夫の瞳に沈痛の色が弥増す。
 夏野はそれを見て、言い知れぬ怒りが込みあがるのを感じた。
 誰にかは分からない。
 足手纏い扱いをした敏夫にか、それともそう思わせてしまった自身にか。
 覚悟なら、とっくに決めている。
「……………わかった」
 頷くと、首を拘束する力が弱まり体が軽くなる。
 夏野は立ち上がる敏夫を見上げて手を伸ばした。
「悪いけど、手、貸してくれ。情けないがどうやら、一人じゃ起き上がれないみたいだ」
 その様子に敏夫は再び溜息を吐いた。
 しかし今度の溜息は先程とは違い、手間のかかる子供に向けられるようなそれだ。
「たく、しかたないな。だから初めから飲んでおけば良かったんだ」
 膝をおって夏野の横に屈み込み、
「ほら、肩かしてやるから、しっかり立てよ」
「ありがとう、先生……」
 下から支えるように夏野の腕を肩に回す。
 その時夏野の動きが止まった。
 敏夫は訝り、夏野を見る。
「夏野くん、大丈夫か」
「ああ」
 呟いて、空いている側の手を敏夫の首筋に沿わす。
 俺は、何をしているんだ?
 自分の行動に驚愕し一瞬思い止まる。
 足手纏いだって、なめるなよ。
 だが、すぐに違う思考が頭を過ぎった。
 少しは、思い知ればいい。
 「夏、野、くん」
 敏夫に緊張が走り、喉が上下する。咄嗟に振り払おうとするが、その行動は間に合わなかった。
 鋭く硬いものが首筋に触れたと思うと、一瞬の痛みの後それが和らいでく。
 血が抜けていき、次第に意識が朦朧としてきた時、首筋から何かが抜かれる感覚がした。
 それが何か感覚では分かっているが、血を抜かれたばかりで思考がついていかない。
「ご馳走様」
「夏野くん?」
 ぼうっとしながら、夏野が口元を拭う様子を見る。
 今起こった事なのに、その血が自分のであるという意識が薄い。
「悪いな、先生。だけど先生も悪いんだ。俺だって我慢していたのに、先生が呷るからさ」
 言うが早いか、まだ意識が定まっていない敏夫を夏野は押し倒し、組み伏せる。
 先程された事を、そのままそっくりやってみせる。
 片腕で胸元を押さえ、脚で腕を固定して動きを封じ、空いた手は相手の耳のすぐ横につく。
 なるほど、こうすればバランスも取れるし、相手に対する威嚇にもなる。  敏夫の焦点が次第に合い、意識が戻ってくるのを確認した夏野は、その体制のまま耳元で囁くように告げた。
「なぁ、先生。これでもう、足手纏いなんて言えないよな」

―了―

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