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小芋の出所
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 尾崎敏夫は先日千鶴に命じられた通りにカルテを書き換え、それまでの物の焼却処分を行った。それを今敏夫の目の前で千鶴が確認している。
 書類に目を通しながら千鶴は満足そうな顔をして頷いていた。
 しかし途中で一枚の書類を手にしたとたん眉根を寄せた。不備があるというより、何か良く分からない物を見つけたように首を傾げている。
「何か問題でも?っつても、あんたには詳しい事は分からないだろ」
 敏夫はそう言って千鶴の手元を覗き込んだ、途端にその書類を千鶴から奪い握り締め、取り繕うように椅子に座りなおす。
「あら失礼ね、でもそれについては良く分かると思うわ」
 千鶴は握り締めて皺の寄った書類に渋い顔をしながら目を落とす敏夫の背後に回り、後ろから抱きつくように手を伸ばして書類に手を伸ばす。敏夫は手を伸ばすようにしてその手を避け、再びその書類に視線を落とす。
 何故こんな物が混じっていたのかと思案する内に、眉間に皺が寄ってしまっている。
「あら、見せてくれたっていいじゃない。それについてはアドバイス出来るかもしれないわよ」
 言いながら敏夫の顔を覗き、
「まあ怖い顔」
 とか言いながらその表情は緩んでいる。
「余り眉間に皺を寄せていると戻らなくなってよ」
「うるせぇ」
 けっと吐き出し溜息を吐く。
「でもどうしてこんな物が必要だったのかしら」
 尋ねる千鶴に敏夫は沈黙で応じる、その顔は苦虫を噛み潰したよに歪められている。
「だんまりは駄目よ先生」
 そうでしょ、と言われると従わないわけにはいかない。『命令には逆らえない』それが今の敏夫の立場だ。
「食いたくなったんだよ。たく、どうでもいいだろうが」
「あらお母様に頼めば作ってもらえるんじゃなくて」
「……ああ、そうかもな」
 ぶっきら棒に言うが内心作ってもらえるかどうか怪しいものだし、それを言えば「家長としての自覚も無いのに」だの何だのと小言が返ってきそうだ、何と言ってもそれが我慢なら無い。別に家長としての自覚云々も母親がそれを認めないのもどうでもいいが、それを一々笠に着られては堪ったものではない。
「それより、いい加減に離れろ」
「あら、いいじゃない。このところ女気が無かったんだから役得でしょ」
「誰のせいだと思ってんだよ、いいからどけろ」
 何が役得なものか。
 確かに普通に女性に抱きつかれたのであれば役得かもしれない、しかしこの女は普通じゃない。女性としての柔らかさはあるのもも、背中に伝わるのはそんなに良い物ではなく屍の冷たさだ。生者には有り得ない冷たい体温に背中から自身の体温が奪われていく、その感覚に冷たい汗が背中を流れる。
「つれないわね」
 敏夫の心情を知ってか知らずか千鶴はそういって敏夫から離れ、窓の外に目を移す。
 外からは笛の音が聞こえてくる。神事には無縁だがそれでも気分は浮き足立つ。
 そうして再び書き直されたカルテに目を向ける。
 もう少し、もう少しで自由に暮らせる日が来る。それを思うと嬉しくて仕方が無い。
 視線の隅では敏夫が先ほどの書類を丸めて脇の机に放り投げていた。
 千鶴はその書類、いやその紙を目の端に捕らえてクスリと笑みを漏らした。やはりこの男は面白いと思う。
 何故この期に及んで『小芋の煮物』なのだろうか。それも自分で作ろうと思ったのかレシピの写しまで用意してあるなんて。
 なんて面白いのだろう、この男は死を前にして尚生きようとしているのか。それともまだ実感が無いだけなのか。
 彼なら私を飽きさせないかもしれない、そう思うと楽しくて仕方が無い。
 その笑みを見て敏夫は再び疲労と貧血で隈の浮き上がる顔を顰めるのだった。
 窓の外からは相変わらず霜月神楽の囃子が鳴り響いている。


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