「ありがとう、グレイ」
クローバーの塔の厨房を出て、出くわしたグレイにお礼を言う。
私の滞在地はハートの城だけど、今は会合中でクローバーの塔に滞在している。
それなのに前の時間帯どうしてもお菓子を作りたくなって、グレイに頼んでみたらあっさりと了承してくれた。
そしてそのお礼を渡す。
「いやこれくらいのこと、気にしないでくれ」
「でも、私ここの人間じゃないのに」
「だが君ならいつでも歓迎するよ。ナイトメア様もそう仰るはずだ」
「そういってもらえると、嬉しいわ。はい、これ」
「???」
私の差し出した物を見て、グレイは首を傾げる。
「お礼のつもりだったんだけど、嫌いだった?」
厨房を使わせて貰ったお礼に、グレイとナイトメア、あと顔馴染みになった塔の人たちの分も作っておいたのだ。
「いや、だがこれは誰か他の奴にあげる為に作ったんじゃなかったのか」
グレイの言う通り、元は会合時は人が多くてイライラしている私の恋人、ペーター=ホワイトの為に作ろうと思ったのだけど、
「それは他に取ってあるから大丈夫。これは別に作ったやつ」
だから安心して受け取って、と言うとグレイは笑顔で受け取ってくれた。
が、何故か次の瞬間顔を顰める。
「グレイ、どうしたの?」
「いや、何でもない。何でもないのだが……ナイトメア様、そんな所に隠れて何をしているのですか」
「う、グ、グレイ。別に隠れているわけではないぞ。それに、ここで一番偉いのは私なのに、その私を差し置いてグレイにだけお礼の差し入れなんてずるいとか、顔を出したら私も貰えるんじゃないかとか、そんな事は考えていないからな」
(考えているのね)
「だから考えてないっ」
(ふーん)
「何だ、その全く信じていない反応は」
「別に、折角ナイトメアの分も作ったのに無駄になったわねって、思っただけよ」
「なっ」
「欲しくないのよね?」
「欲しくない、とは言ってないぞ」
「でも、欲しいとも言ってないわよね」
欲しいって言ったら、上げるわよ。
「せ、性格悪いぞ」
今に知ったことじゃ無いでしょう。
私の性格が良かったことなど一度も無いはずだ。
「……っぐ」
「ナイトメア様?」
「ナイトメア?」
「は、吐く」
「ええ〜〜〜〜〜〜っ、何でいきなり」
「ストレスで、胃に……」
アレだけの事で胃に穴が開くほどのストレスが溜まるのかしら?
「それだけじゃない」
「じゃあなによ」
いつも仕事サボってはグレイに迷惑掛けてるくせに。胃に穴が開くならグレイの方が先なんじゃないかしら。
「失礼な。今だってしたくも無い仕事を無理やりグレイにやらされて……ゴホッ、ゴホッ」
「ナイトメア様、しっかりしてください。こんな所で倒れないでください、折角あと少しで珍しく仕事が片付くのですから、どうせ倒れるなら仕事を全部終わらせてからにしてください」
「そうよ、頑張ってナイトメア。仕事が終わったら食べられるように、これグレイに預けておくからね。頑張って」
「ひ、酷いぞ、アリス……ゴホッ、ゴホゴホッ……」
「じゃあグレイ、これナイトメアの分だから」
「ありがとうアリス。仕事が終わったらちゃんとナイトメア様にお渡しするよ」
「ええ、お願いね」
グレイにお菓子を預けて立ち去るとき、ナイトメアが物凄く恨みがましそうに私を見ていたけれど、気になんてしてあげない。
反対にグレイからは感謝の視線を送られて、思わず苦笑してしまった。
+ + +
さてと、何処に行ったのかしら。
私は塔内をウロウロしながら、白い耳を探していた。
正確にはペーターを探しているのだけれど、彼を探すならどきついギンガムチェックの赤い服か、長くて白い耳を探すに限る。
「あら、エリオット」
「よお、アリスじゃねえか」
白くて長い耳を探していたつもりが、オレンジ色の長い耳を見つけてしまった。素通りする事もないし声を掛けると、大好きな飼い主の大好きな友人を見つけた大型犬のような反応をして大きなウサギさんが近付いて来る。
「どうしたんだこんな所で」
「こんな所っていっても私だって会合中は塔に滞在しているのよ」
偶然に出会うことだってあるはずだ。
「それは知ってっけどさ、あんたこの辺あまり来ないだろ」
(???)
確かにエリオットの言う通り、私は普段塔のこの辺りには来ないけど、
「何で?」
「何でって、ここらは俺たち帽子屋ファミリーに割り振られている区画だからな、城の奴らとは真反対だ」
だからあんたこっちの方には余り来ないだろうと、言われてみればその通りだ。
いくら会合中は撃たない殺さないといっても所詮『なるべく』の範囲内、幹部達は街に個別で部屋を借りているとしても、血の気の多い部下達が出くわして何にも起きないとは言い切れない。
一度や二度なら我慢出来ても、部屋が隣同士とかになったら大変そうだ。
「それで、こんな所まで何の用なんだ」
改めて尋ねられ答えに窮してしまう。
帽子屋ファミリーに割り振られた区画と聞いた後でペーターを探していたとは言いにくい。
「ああ、ブラッドだったらいないぜ」
ブラッドに用事があるなんて一言も言ってないのに、どういう化学変化が起きたのか、このウサギさんの頭の中ではそう結びついたらしい。
「違うわ、ブラッドに用事っていう訳じゃあないの」
「だったら何しに来たんだ」
ごもっともな質問だ。
(えーっと……)
こっちももっともらしい事を考えるが咄嗟には出て来ない。
「皆、元気かなって?」
何で疑問系なんだろう。
自分で言っておきながら突っ込んでしまう。
「元気かなって、前の時間帯会合で一緒だったじゃねえか」
「そうだけど、ほら、遠かったから」
苦しい良い訳だ。
「まあそれもそっか」
にも関わらずこのウサギさんは信じてくれたらしい。
ブラッドや双子達じゃなくて良かったわ。
彼らはこのウサギさんに比べると鋭い、というか私の裏を読んでくる。エリオットだってマフィアのNO.2というぐらいだからそういう面もあるのだろうけど、気を許した人に対しては警戒心のようなものが働かない。
一難去って安心したのも束の間、エリオットの顔が急に近付いてきて咄嗟に後退さる。
「な、何?」
「何だかアリス、良い匂いがするな」
「何言ってるのよ」
本当に何を言い出すんだろうかこのウサギさんは。
そんなの、まるで口説き文句じゃない。
照れて顔を背けようとする私に、エリオットは何だろう、と続ける。
「美味しそうな匂いがする」
(ああ、そういうこと)
理由が分かってほっとしたのと同時に恥ずかしくなる。
とんだ勘違いだ。
「先刻ね、クッキーを焼いたの」
ほらこれと、手に提げていた赤い紙袋の中身を見せると、ウサギさんの瞳が輝きだした。
(沢山あるからいいわよね)
だいたい見せた後の反応は分かっているのだから、上げたくないのだったら最初から見せるべきではない。
「一枚どうぞ」
そう言って紙袋の中のクッキーの入った袋を差し出すと、エリオットの目が今まで以上にキラキラと輝きを増した。
「オレンジ色してなくて悪いけど」
彼の大好きなオレンジ色の食材は今回残念ながら使っていない(エリオットに作った訳じゃないから当然だ)。
茶化す様にそれを言うと、エリオットは首を傾げた。
どうやらオレンジ色ではすぐには通じなかったらしい。エリオットは暫く考えて、ああと頷いた。
「確かにニンジンクッキーの方が好きだけど、アリスが作ったもんならなんだって美味いに決まってるさ」
そんな事を言われると上げるのが恥ずかしくなってしまう。
私が作った物なんてそんなに言って貰えるほど上等なものではない。
「お口に合えばいいですが」
つい茶化すような口調になってしまう。
「じゃあ、いただきます」
そう言ってエリオットが袋から一枚クッキーを取り出したとき、
「あー、馬鹿ウサギだけずるいぞ」
「そうだそうだ。ウサギのくせにお姉さんの手作りクッキー食べるなんて、厚かましんだよ」
角から大人姿の双子達が飛び出してきた。手にはいつものように大きな刃物をもって、いつものようにエリオットに喧嘩を吹っ掛ける。
いつもと違うところといえばその姿だけ。大人の姿をしていてもやっていることは子供の姿の時と変わらない。
外見が変わったからといって、中身までそうすぐに変わったりはしないわよね。
苦笑をして一枚のクッキーの為に攻防戦を行っている三人に目を向ける。
双子が子供の姿をしているならまだ可愛げのある光景だが、大人の姿でやられては呆れて溜息しかでない。
「大人なんだからそういうのは子供に譲るもんだろ」
「図体ばかりで大人気ないんだよ、ひよこウサギ」
「その格好で言ったって説得力ねぇんだよ、馬鹿が。つーか俺はウサギじゃねえ、いい加減に覚えろ、図体ばかりでかくなったところで中身はくそガキ共のまんまじゃねぇか」
わいわいがやがや、喧々諤々、だけどまだ武器を取り出していないだけましだ。しかしそれも何時までもつか分からない。
この連中の事だ、今すぐにでも武器を構えかねない。
その前に何とかしないと。
そのまま立ち去るという選択肢もあるけど、エリオットだけでなく双子達にも久しぶりに会えたのだ、このままさようならというのは少し寂しい。
「あんたたちいい加減に止めて置きなさいよ」
「そんな事言ったってひよこウサギが」
「ウサギって言うなっ」
「僕達がお姉さんと話してるんだから、馬鹿ウサギは黙ってなよ」
「はあ?元はと言えばてめえらが割って入ったんだろうが」
「何言ってんの、そんな事僕達知らないよ。ねえ兄弟」
「うんうん、知らないよ。ひよこウサギの勘違いだよ」
数の力は恐ろしい。双子はこの調子でしらばっくれるつもりだろうけど、エリオットがそれでおとなしく引き下がる訳もなく、このままではまた先程の繰り返しになってしまう。
「いい加減にしなさい。あなた達にも上げようと思ったけど、おとなしくしないと上げないわよ」
「えー。ぼ、僕達、おとなしくするよ」
「うんうん、もう喧嘩しないよ」
ディーとダムがぴたりとおとなしくなり口々に言う。
「あまり数がないから一枚ずつね」
「はーい」
「ありがとう、お姉さん」
一枚ずつといっても一枚を割りと大きめに作っているから食べ応えはあるはずだ。
双子は一枚ずつクッキーを取り、
「いただきまーす」
と声をそろえ、その場でクッキーを平らげた。
「お姉さんのクッキー美味しいよ、ねえ兄弟」
「うん、本当に美味しい。お姉さん料理上手だね」
「そう?ありがとう」
料理と呼べるようなものではないし、そこまで褒めてもらえるようなものではないけど、そう言ってもらえると嬉しくなる。
美味しい美味しいと言ってクッキーを食べた双子から少し離れた場所で、エリオットが耳を垂らして立ち尽くしていた。
「どうしたの、エリオット?」
「馬鹿ウサギも食べればいいのに、お姉さんのクッキー美味しいよ」
「そうだよ、ひよこウサギも食べなよ」
その声には「食べれるもんならね」という響きが含まれている。
囃し立てる双子を他所にエリオットを覗き込み、その視線を追って彼の足元を見ると、無残に砕け散ったクッキーの残骸が落ちていた。
これはもう食べれそうにない。
「アリスごめんな、折角あんたがくれたのにこんなにしちまって」
「あーあ、もったいないな。折角お姉さんがくれたものなのに」
「食べ物は粗末にしちゃいけないんだぞ、ほんと馬鹿ウサギはどうしようもないよね」
双子達はクッキーの残骸より落ち込んでいるエリオットを見ている。
その双子達をエリオットは冷めた視線で見下ろして、静かに腰の銃に手をかけた。
―ガン、ガン―
―キン、カン―
銃声と金属音が廊
下に響く。
「いきなり何するんだよ、ひよこウサギ」
「そうだそうだ、危ないじゃないか」
「うっせえ、今日こそ手前らの頭に風穴開けてやるから覚悟しやがれ」
ガンガン、カンカンと物騒な音が間近で鳴り響き、砕けたクッキーは粉々になって宙を舞った。
(つきあってられないわ)
別にもう一枚くらい上げてもよかったけれど、このやり取りに私の気分は急速に削がれてしまい、彼らの騒ぎをそのままにその場所から離れることにした。
次にエリオットに会いに行く時はニンジンクッキーでも作っていってあげようかしら。
離れて行く銃声を聞きながら項垂れていたエリオットの姿を思い出し、ついそんな事を考えてしまう。
+ + +
さてと、ペーターは何処にいるのかしら。
塔での自室がある場所を目指しながら辺りを見渡す。
もしかしたら私の部屋のある辺り(つまりは城の住人に割り振られている範囲)に行けばいるかもしれないと思ったからだ。
(いそうにないわね)
だけどその気配はない。
行きかう城のメイドや兵士に尋ねても皆知らない、見ていないというばかりだ。
いったい何処に行ったのよ。
会いたいと思っていないときには何処からともなく現れて纏わり付いてくるくせに、私が会いたいと思っているときは隠れているんじゃないかと思うくらい見つからない。
「あー、イライラする」
と言ったのは私ではない。
「待てど暮らせど一向に現れんとはどういうことじゃ。イライラするイライラする……そうじゃ、このイライラを紛らわせる為に、紅茶が一杯無くなるごとに一人首を刎ねてやろう」
物騒な台詞を耳にして思わず扉を開いて部屋に飛び込んだ。
「ビバルディ、何をそんなにイライラしているの」
「おおアリスか、ちょうど退屈していた所じゃ。こちらに来て話し相手になっておくれ」
「ええ、わかったわ」
本当はそんなことをしている余裕は気分的に無いのだけど、人の命がかかっているからにはそうも言ってはいられない。
「これから流血ショーをしようと思っておったのだが、アリスもどじゃ」
「私は、遠慮しておくわ。そんな事より私とお話しましょ。先刻焼いたクッキーがあるからお味見してみて」
「おやアリスが焼いたのか、それならば一緒にお茶会としよう」
少しだけ機嫌を直した女王様はメイドに新しいお茶の用意を命じ、私はクッキーを三枚ずつお皿に取り分けた。
「なんじゃ、これだけか」
子供の様に拗ねてみせる女王様に、
「他の人の意見も聞いてみたいから」
と言葉を濁すと、
「ほう、そうか」
とだけ返って来たが、口元が緩んでいるので私の真意などお見通しかもしれない。
それから暫く話をして取り分けたクッキーや元から用意してあったお菓子を一通りつまんだ頃、漸くビバルディの機嫌が戻ってきた。
女王様のイライラの原因は、曰く、
「エースの奴め、会合が終わった直後にこの部屋に呼びつけたにも関わらずまだ姿を現さん。いったい何をしているのじゃ。おかげで宿に戻る事も出来んではないか」
ということだ。
前回の会議が済んでから二回時間帯が過ぎているのでビバルディが怒るのも分からなくもないが、
「じゃあ宿に来るように言付けて帰っちゃえばいいじゃない」
どうしてそうしないのか分からない。
「ふん、そんな事をしていては、あの迷子は何時までたってもわらわの元に辿り着けんではないか」
言われてみればその通りだ。
ここまで来るのに迷って更にここから宿に行くまでに迷ったのでは、次の会合が始まるまでにビバルディの所に辿り着けない可能性が高い。
「しかし、お前のおかげで多少気分が紛れたよ。ずっとわらわとここに居てくれたら良いのに」
「えっと」
何と答えたらいいか迷ってしまう。本当はペーターを探しに行きたいけど、下手に断って女王様のご機嫌を損ねたらそれどころではなくなる。例え私に害が無くても周りの被害は甚大だ。
「じゃがアリスには行きたいところがあるようだしね。いいよ行っておいで、美味しいお菓子へのご褒美じゃ。もしその途中でエースの奴を見かけたら、早くわらわの元に来るように言っておくれ」
「ええ、わかったわ」
ほっとして席を立つ。
「それとね、アリス」
「なあに?」
「ホワイトの奴は今塔にはいないよ」
「え?」
どうやらお見通しだったらしい。
「じゃあ何処にいるの?」
「公用で城に帰しておる。あやつのことじゃ何時帰ってくるかは分からんから、アリスが迎えにいっておやり。そうすれば少しは早く帰ってくるじゃろう」
全くわらわの部下にはろくな奴がおらん、とビバルディが愚痴を溢す。
本当にその通りだから乾いた笑しか出てこなかった。