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南の森の封印の魔女
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 あの日から丁度一年が過ぎた。
 昨夜満月を確認し、皆が寝静まった後こっそり今日の準備に取りかかった。いつも使っている鞄に薬の入っていた瓶と、飯み水を入れた瓶、朝食と昼食用のパンを入れて枕元に置いて寝った。
 そして今日、鶏より早く起きてまだ薄暗い誰もいない村を抜け、実った小麦が朝の少し肌寒い風にカサカサ鳴っている農道を歩いて森へ向かったのだ。
 今朝からの事を思い出して、アシルは歩を止めた。
 オレは、明け方この道を通ったんじゃなかったか?
 高い位置にある太陽と青い空を見上げ、金色の小麦畑を見渡す。そこに在るはずのモノがない、気付いてみれば不気味な光景が広がっていた。
 刈り入れ時の小麦に晴れ渡った空、何のために早起きをして家を出たのか。それは、麦の刈り入れのために早朝から農道を行く大人たちに見咎められないようにではなかったのか。
 ちぐはぐな時間帯、刈り入れ作業をしている人のいない畑。
 オレは、夢でも見ているのか?
 不思議な気持ちになり振り返ると、そこには森の出口が見えた。
 ああそうか、ここは森の中なんだ。
 答えを導き出した瞬間強い目眩を覚えたかと思うと、いつの間にか森の中に立っていた。振り返ってももう森の出口さえ見えはしない。
ぼうっとしていた頭が覚醒してくると森に入った時の事も思い出して来た。
 森に入って直ぐは暗かったし緊張もあって、只ただ魔女の家に行く事だけを考えと進んだ。けれど日が昇り鳥がさえずり景色が鮮明になるにつれて森の中に興味を持ち初めた。それがいけなかったのかもしれない。綺麗な鳥に目を奪われたその後の記憶が曖昧だった。霧が出てきたと思ったら何を考える間もなく深くなり、数歩先も見えなくなった、そのような気憶はあるが、あれ自体白昼夢だったのか現実だったのか定かではない。
 しかも白昼夢なら白昼夢でその場に止まっていればいいものを、夢見気分で歩いた分だけ移動していたようで、ここが森のどの辺りになるのか見当も付かない。
(まいったなぁ)
 引き返そうにも今まで歩いていた方角さえ不鮮明で引き返しようもなく、完全に迷ってしまっていた。
(今からでも魔女の家って思って歩いたら連れて行ってくれないかな?)
 脳天気にも虫の良い事を考えていると、本当に虫の良いことが起きてアシル自身驚いてしまった。
「婆さんっ」
 いつの間にかあの時の老婆が立っていた。嬉々として駆け寄ると、そこは木々が開けた広場の様な場所だった。見上げると夢の中の空と同じ色の空が見え、このお婆さんは本物だろうかと不安になる。
「ちゃんと約束を覚えていたのね」
 感心だわと微笑む顔は一年前と同じで、アシルを安心させるに足るものだった。
「迎えに来てくれたの?」
 アシルの問いに老婆は微笑んだ。
「ここは、森のどの辺りですか?」  別のことを問いかけると、老婆は右手の上に左肘を乗せ左手を頬に軽くあて「そうね」と首を傾げた。まるで少女のような振る舞いだったがこの老婆がすると違和感が無い。
「私の家まであと半分ってところかしら」
 半分と聞いて少しだけ顔をしかめた。もう大分歩いた気がしたのにまだまだ先は長そうである。
 そんなアシルの様子に老婆はフフフと笑いをこぼし、
「ここまで来てくれただけで充分貴方の誠意は伝わりました、ここで瓶を預かるわ」
 疲れを感じていたアシルにとってそれは、とても魅力的な申し出に聞こえた。
 約束をした老婆自身がそう言うのだ、問題は無いだろうと鞄の中の薬瓶を掴み、けれどそれを鞄の中から出すことはしなかった。
 どうしたの?と訝る老婆にアシルは答えた。
「やっぱり、お婆さんの家まで持って行くよ。そういう約束だったからさ」
 お婆さんさえ迷惑じゃなければだけど、と続けると、
「勿論、迷惑だなんて思いませんよ」
 とても嬉しそうに笑った。現に老婆はアシルの誠実さが嬉しかった。
「正直者の貴方に、少しだけご褒美をあげましょうね」
 付いていらっしゃい、そう言って老婆は歩き出した。
 歩いたり走ったりが得意のはずのアシルだったが、老婆の足の速さには驚いてしまった。老婆は老人とはおよそ思えない速度で歩いていた。
 老婆に付いて歩くのはご褒美とは言えないような苦行だった。老婆はと見れば疲れた様子も無く、ただ散歩している程度といった様子だが、ずっと小走りのアシルは既に汗だくで息を切らせている。
 それが褒美だと理解したのは、
「さあ、着いたわ。後はここをまっすぐ行くだけよ」
 老婆が立ち止まり、森の中をまっすぐのびる道の先に青い屋根の家が見えた時だった。
 森の中で老婆を見かけたところが入り口から調度半分くらいだったとしたら、小走りで駆けてきたからと言ってもこんな短時間で着くはずはない。
 近道を連れてきてくれたんだ。
 そう思ってお礼を言おうと老婆を振り返れば、いつの間にか老婆の姿が消えていた。
「あれ、お婆さん?」
 見渡しても老婆の姿は無い。
 あれだけの速度で歩ける老婆だ、少しよそ見をした間にどこかに行ってしまっても不思議ではない。不思議ではないが、
「どこか行くならそう言ってくれればいいのに」
 でもどうしようかな、と少し戸惑ってしてしまう。
 このまま行って誰もいなかったら困るし。
 だいたい老婆に薬便を返しに来たのだ、今まで一緒にいたからといっても老婆がいなくては仕方がない。かといってこのままこの場所に立ち止まっていても仕方が無いので、アシルは魔女の家へ向かって歩き出した。
 家に近づくと、今まで木々で隠れて見えていなかった家の全貌が見えてくる。
 先の尖った青い屋根の家は、アシルの家より少しだけ大きな二階建てで、外壁は石造りなので何処と無く教会を思わせた。
 家の前には庭が広がっており、魔女の薬に使われる薬草だろうか、見たことの無い草花の植えられた広い畑が二面作られている。
 その畑の中に人の気配を感じ、アシルはホッとした。
 (誰もいなかったらどうしようと思ったけど、そんなはず無いか)
 ここまで来て誰もいなかったら、老婆が帰ってくるまで途方にくれるところだった。
 アシルはその人影に声をかけるために畑へ近づいた。畑の人影もアシルの気配に気付いたのかそれまでの作業を止め、畑からひょこりと顔を出す。
 その顔を見て、アシルの足が、足とは言わずその動き自体がぴたりと止まった。
 猫を思わせるくりっと大きな瞳は印象的な青色で、肩で切り揃えられたピンクゴールドの髪は、細い猫毛でふわふわしていて、色白の顔に良く映えていた。
(可愛い子だな、お婆さんの孫かな)
 村の中では兄の贔屓目を除いたとしてもマールも可愛い方だと思っていたが、この少女はそれ以上だった。その少女に見とれて惚けているアシルを見て、少女は手篭を持ったまま立ち上がる。
 身長はアシルとそんなに変わらないか、少し大きいかもしれない。
 その可愛い顔から年下だと思ったアシルだったが、年上かな、と思い直した。
 そんなことを惚けぼけと考えているアシルとは反対に、少女の顔は引きつって行く。怯えて逃げるのかと思いきや、少女はアシルに向かってずかずかと歩み寄り、籠を片手で抱え、空いた右手をアシルに突き出し、
「あなた誰、何でここにいるの。どうやって入ってきたの。大体ここは入ってきてはいけないのに、どうして入ってきたの」
 矢継ぎ早に攻め立てた。
 予想外の剣幕にどうしていいかわからず戸惑うアシルを、少女はキリリと睨み付けている。
「あの、オレはアシルって言います」
 思わず丁寧に答えてしまう。背中にはどうしたことか嫌な汗まで流れてきた。
 にも関わらず、けどやっぱり可愛いな、頭の片隅でそんなことを考えてしまう。
 アシルの内心など気に止めることもせず、少女の瞳はアシルに返答の続きを求めた。
「去年の今日、お婆さんと約束して」
「約束?」
 少女は疑わしげな瞳をアシルに向ける。
「嘘じゃないよ、妹に薬をくれて、お金を払う代わりにこの瓶を返しに来いって」
 アシルが慌てて差し出した薬瓶を少女は目を細めてじっと見つめ、
「確かにうちの薬瓶だけど、でもそれだけじゃここまでたどり着けないはずよ。いったいどうやってここまで来たの」
 薬瓶のおかげか少女の口調が少しだけ優しくなった。
「途中迷ったんだけど、そこまでお婆さんが連れてきてくれたんだ」
 今ちょっとどこか行っちゃったけど、と後ろを振り返るアシルを少女は再びにらみ付ける。
「嘘よ」
「嘘なもんか」
 強い口調で断言されて、アシルも思わず言い返す。
「だって、そんなはず無いもの」
「何がそんなはずないのさ」
 アシルの強い口調に今度は少女が怖気たが、それでも強い視線はそのままで、
「だって、お婆ちゃんは今日ずっと家の中にいたもの」
 アシルは再び困惑する。
「それに、この森には私とお婆ちゃんしかいないのよ。たまにお母さんも来るけど、お母さんはあなたにお婆さんって言われるほど歳を取っていないもの」
 あなたが嘘を吐いていないなら、いったい誰に連れて来てもらったって言うの、そう少女に詰め寄られるがその答えをアシルは持っていない。
 ただ後ろを振り返り首を傾げるだけだ。
 強い視線でアシルを睨み付ける少女と、困惑するアシル。
「セイラ、もうその辺にしておいておあげなさい」
 家の中から姿を現した老婆の声だった。
 白い紙をきちりと結上げ、黒い詰襟のワンピースドレスを着た貴婦人のような老婆。先ほどまでアシルといた老婆だったが、アシルはその姿に違和感を感じ首を傾げた。
「貴女は、誰ですか?」
「何言ってるの、私のお婆ちゃんよ」
 やっぱり嘘吐いてたのね、そう言って少女はアシルを睨み付けるが、アシルはじっと老婆を、少女は祖母だというその魔女を見ていた。
「見た目は同じなんだけど、違う人ですよね」
「そんなはず無いわ、さっきも言ったけど、この森には私とお婆ちゃんしかいないもの」
 今はあなたもいるけどね、と嫌味も忘れない。
「貴方は良い目をしているわね」
 魔女は老婆は同じように、フフフと笑って歩み寄ってきた。
「それにとっても正直者。あの方が気に入るわけね」
「あの方?」
 声が二つ重なった。
 魔女の言う『あの方』に、魔女の孫である少女セイラも聞き覚えが無いらしい。
「あの方というのはね、この森のことよ。森の精とも森の主とも言われているわね」
 魔女は微笑んだまま少女とアシルの疑問に答えた。
「色々と話さなくてはいけないのでしょうけど、その前に名前を教えていただけるかしら、マールのお兄さん」
 魔女の口からマールの名前が出たのは驚いたが、老婆と同じでこの魔女からも恐い感じはしなかったから嫌な気持ちにはならなかった。
「オレは、アシルっていいます。お婆さんは、この森の魔女なんですよね」
「そうよ、私はこの森の封印を守る魔女でパルマというわ。この子は孫のセイラ、いずれは私の後を次いで森の魔女になる筈だったんだけど」
 そこで一度孫娘に目をやると、セイラは微かに目をそらした。その様子をアシルも見てしまい、パルマの方を見ると少し困ったように微笑みを返してきた。
「その話も、後でしなくてはいけないわね。さ、二人とも家に入って頂戴。少し長い話をしなくてはいけなくなるから、
部屋でお茶でも飲みながらゆっくりとお話しましょ」
 今度はアシルとセイラが顔を見合わせ、一緒にパルマの顔を見上げた。
 パルマが優しく微笑んで促すものだから、二人とも色々思うところを飲み込んで取りあえず家の中へ入ることにした。

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