魔女の家の中は、魔女の家らしく大鍋やら薬草やらとそれらしいものももちろんあったが、アシルが想像していた薄暗い不気味なイメージとは違い、明るく清潔で開放されたものだった。 あれだけの薬草があるのだからもっと薬臭いのかと思えば今は甘い匂いが一杯で、それに応えるようにしてアシルのお腹がクルクルと鳴った。 それを聞いてパルマが笑うものだから、先ほどまで剣呑な表情をしていたセイラさえクスクスと笑いを漏らした。 そう言えば、朝ごはんの代わりに持ってきたパンは食べたが、昼ごはんのパンは手付かずのままだった。 森の中ではあっても開けた場所にあるこの家には太陽に光が差し込んでいるので、まだ昼過ぎだということは分かるが、実際に何時くらいなのかは分からない。 (今何時くらいなんだろう?) そう考えたのが分かったのか、それともたまたまなのか、 「今は調度おやつの時間ですものね、お腹が空くのも当然だわ」 そう教えてくれたパルマは、 「そう思ってお菓子を焼いていたのよ、召し上がるわよね」 「あ、はい、頂きます」 お腹を鳴らした手前遠慮するわけにもいかず、赤くなりながら頷いた。 「今の時間ならテラスの方がいいわね、セイラお茶の用意をするから、アシルを案内してあげて」 パメルに命じられ、はーいと間延びした返事をすると、 「こっちよ」 キッチンの奥へ向かうパメルとは逆の方向を指してセイラはアシルを促す。 「あなた運がいいわね、お婆ちゃんのマフィンは最高なんだから」 いつの間にか機嫌を良くしたセイラが満面の笑顔でアシルに話しかける。 「君は、ここでお婆さんと二人で暮らしてるの?」 「そうよ、お婆ちゃんの後を次いでこの森を守るのが私の役目だもの」 少し言葉にトゲがあるのは気のせいだろうか。 「嫌なの?」 「別に、お婆ちゃんは好きだし、森の生活だって悪くは無いけど、でも私この春まで街で暮らしていたの。お母さんも街だし、友達だってみんな街にいるの。学校の成績だってよかったのよ」 なるほど、街が恋しいらしい。 「街って楽しいの?」 「ええ、楽しいわ」 言って、セイラは考える。 「ん〜、どうだろう。街にいるより森にいる方が楽しいこともあるわ」 「でも街の方がいんだね」 やはりセイラは少し考えて、どうなのかしら、と首を傾げる。 「オレも街に行ってみたいな」 「興味あるの」 「そりゃあね」 「だったら行けばいいのに」 当たり前のように言われてアシルは苦笑する。 「仕事があるし、街って遠いだろ」 「遠いかしら」 セイラは首を傾げたまま考えて、そうねと頷く。 「遠いわね」 アシルの村から一番近い街は港町だが、南の森があるため大回りをしなければたどり着けない。だからこそ一年前は森を抜けようとして今に至る。 その次に近いのは王都だが、子供の足では片道だけで1日かかってしまう。 どちらにしても気軽に行ける場所じゃない。 「そっち座って」 テラスに出ると、先ほどの薬草畑がすぐ目の前に見える。その背後に森が見え、開けた所から青空が見え、吹き抜ける風が優しい。 進められるままに椅子に座ると、斜め前の席にセイラが座る。 「ここ私の席なの」 ここに座ってお婆ちゃんに色々教わるのよ、と得意げに言う。 「あらあら、いつのまにか仲良くなったのね」 手にお菓子とティーセットを乗せたお盆を持ったパルマが微笑むと、 「別に仲良くなったわけじゃないけど、悪い子じゃないみたいだし」 先ほどの態度を気にしてか、照れ隠しに他所を向く。 「お口に合うかは分からないけど、どうぞ」 甘い香りのお菓子とほんのり花の香りのするお茶を出され、アシルより早くお腹の方が返事をした。 「ほんと、食いしん坊ね」 「お昼食べてなかったんだ」 意地悪く言われ、つい口を尖らせてしまう。 「あら、だったらお菓子よりご飯の方がよかったのかしら」 「あ、いえ、これで大丈夫です」 慌てて応えると、そう、ならよかったわ。と頷きながらパルマもアシルの正面の椅子に腰掛ける。 「どうぞ、食べて。はい、セイラもね」 孫娘に微笑むと、パルマはセイラとアシル両方のお皿にマフィンを取り分け、更に自分のお皿にも取る。 「お行儀が悪いのだけどね」 言い置いてパルマは手でちぎってマフィンを食べ始めた。 それを見てアシルも手掴みでマフィンを食べる。 「ふごふ……凄く美味しいです」 口に入ったまま喋ろうとしたが上手くいかず、一端飲み込んで喋ると、前の二人が揃って笑い出した。 「ゆっくり食べても大丈夫よ」 パルマにそう言われたが、空腹と食べた事の無い甘くて柔らかい食物に夢中でそれどころではない。一つを食べ終わると次を「もう一つどうぞ」と差し出されるものだから、つい三個も食べてしまった。最後に花の香りのするお茶を飲んで落ち着くと、斜め前で唖然としているセイラと目が合い、恥ずかしさで俯いてしまう。きっと耳まで真赤に違いない。 「気に入ってもらえて良かったわ」 アシルの気まずい雰囲気を払ってくれたのは、パルマの優しい笑顔だった。 本当に優しい人だと思う。それに美味しいお菓子も作ってくれて、セイラが好きだと言うのが良く分かる。 だからこそ気になるのが、あの老婆の存在だった。 じっとパルマを見るアシルの視線を受けて、パルマは手にしたカップを静かに置いた。そして表情は優しいまま少しだけ背中を伸ばすと、 「さてと、何からお話ししましょうか?」 左の頬を軽く左手に乗せ首を傾げる、あの老婆のした少女の様な仕草をしてみせた。 しばらく考えていたパルマだったが、ゆっくりとした動作で頬を掌から上げると、 「やはりまずは、この森が封じられた理由からお話しするのがいいかもしれませんね」 話しを切り出すパルマを前にアシルもセイラも姿勢を正した。アシルは行った事がなかったが、学校で先生の話しを聞く時はこんな感じだろうかと思った。 「この森が今の様に封じられたのは、今からおよそ百二十年前、森の魔女とも封印の魔女とも言われる私達の存在も、私で三代目になります」 パルマはそこから話しを初めた。 当時この大陸の南海に面す大地は三ヶ国に分かれ統治されていた。その三ヶ国は少さな小競り合いはあったものの、概ね平和に暮していた。そしかその平和は、南の海を挟んだ対岸の大国の侵攻によって終わりを告げる。今の世に残る南海の大戦とはこの事を指す。 当時アシルの住む村は小さいながらも、南の港町と王都、そして西の王国の都を繋ぐ主要都市であった。そのため戦が初まれば外壁を築き、要塞都市の様相を呈していた。 それ故に村は南の大国からの度重る侵攻にさらされた。国の防衛の要である村を落とされては国自体の危機である、故に時の国王は一人の魔女に相談を持ちかけた。 それに魔女は応えて曰く、 「それでは私が南の森を封じましょう、そうすれば敵は南の森を通る事は出来なくなり、東の山道を迂回しなくてはこの国への侵攻は不可能となるでしょう」 ただしそうなれば自国の者も森を通る事が出来なくなり、物流の妨げになることも必至だった。そのため当時の国王は悩んだが、物流を優先して国が滅びてしまっては意味が無いと魔女の助言を聞き入れた。 その時魔女はこうも言った。 「森には外部の者が入る事は叶いません、しかし一度抜けてしまえば森の封印は消えてしまいます。一度消えてしまった封印をまた直ぐに張り直すことはできません」 だから結して森に入ってはいけないと。 そうして百二十年間森の封印は守られ、行軍経路を大幅に迂回しなくてはならなくなった南の大国は、ついにこの国を攻め落とすことが出来なかった。 「これが、森が百二十年もの間閉ざされていた理由です」 パルマがそう話しを閉じると、魔女の隣の少女は何だか不機嫌に、正面の少年は青ざめた表情をしていた。 「何よそれ、学校で教わった内容と全く違うわ」 先にロを切ったのはセイラの方だった。 「学校では魔女の活躍なんて一言も言わないのよ、大きな戦があって何とか戦に勝利したとしか教えてくれなかったわ」 今にも地団駄を踏む勢いである。 「でもその話しじゃあ敵を倒したのは森の魔女じゃない」 カリカリと怒る少女の言葉を、祖母は静かに訂正する。 「魔女は退けただけで、撃退した訳ではないのよ」 しかし同じ事よと息巻くセイラにパルマは苦笑を返すしかない。 そしてそっと立ち上がり室内へ入ったかと思うと、数分もしない内に戻って来た。手には熱いお湯を入れ直したティーポットを持っている。 温かくなったお茶を少年の冷めたティーカップに注ぎ直してやると、ようやく少年は怯えたような瞳を上げた。 「オレ、大変なことを、したんじゃないですか?」 温かくなったカップはそのままで、アシルは魔女を見つめた。その目が先を促している。 「オレ、災厄が何か知らなかったから、それに人が入ると封印がなくなるってことも知らなくて。パルマさん、封印は消えてしまいますか?災厄は、南の大陸の国は、この森の封印がなくなったらまた攻めてきたりしますか?」 戦なんて経験した事はないけれど、それは不確かな災厄よりずっと恐ろしい事のように感じた。 「大丈夫ですよ、安心なさい」 パルマはアシルにお茶を勧め、落ち着くよう言い聞かす。 「南の大陸の国はこの国以外にもね、領土を広げようとたくさんの国に戦を仕掛けたわ」 するとどうなったと思う?とパルマは二人の子供に問いかけた。 「どうって、領土を広げて満足したんじゃないの」 「どうしてそう思うの?」 孫娘の答えにパルマは再度問いかけた。 「だって、少なくとも私達が産まれて来てからは戦なんて起きてないもの。だったら戦しなくてよくなったってことでしょ」 得意に言うセイラに「そういう考え方もあるわね」と微笑んでパルマはアシルの答えを待つ。 「戦しなくてよくなったんじゃなくて、出来なくなったんじゃないかな?」 パルマはアシルにもその理由を問うた。 「理由はよく分からないけど、そんな気がするんだ」 そう言ってアシルは少し考えて答えを付け足す。 「だってさ、人の物を欲しがる奴って、キリが無いだろ?」 そういう人達がある程度領度が広がったからと言って、もうこの辺にしておこうと考えるだろうか。 「人の物を奪ってさ、上手く行ったらもっとって思うんじゃないかな?」 「だったら何で攻めて来ないのよ」 セイラの問いにアシルも首を捻る。 「それが分からないんだ。オレに考えつくことって言えば、敵を増やし過ぎて自分がやられちゃったってくらいだもん」 二人の問答を聞いていたパルマが静かに笑った。 「アシル、あなたはやっぱり賢い子ね」 アシルを誉めると隣りで孫娘の拗ねる気配を感じ、パルマは何度目かの苦笑をこぼした。 「セイラの考え方も面白いのだけどね、やはりあなたはもう少し人の中で過ごすべきなのかもしれないわね」 知識として知っているのと、人と関わることで実感するのとではまた遣う、そうパルマはセイラに教えた。 「逆にアシル、あなたには知識が必要みたいね」 だがそれは仕方の無い事でもあった。農村では教会で読み書き程度は習う事ができるが、それ以上を学ぶ場所が無いからだ。 「では答え合わせだけど、概ねアシルの考えは当たっているの。ただ少し付け足すと、戦をやり過ぎたせいで国の中で色々となくなってしまったの」 「お金とか?」 尋ねるように言うセイラにお金だけじゃないわね、と言って少し考える素振りを見せる。何と説明すればいいか考えているのだろう。 「戦をすればお金だけではなくてね、人も物もどんどん無くなっていくの。南の大国はそれを補うために占領した土地から人や物を持って行ったわ。戦を仕掛けられ、負けて占領されて、それだけでもされた方の国では恨めしく思うでしょ。その上人も物も取られたのではたまったものではないわね。そういう国が増えていって、そうしている内に国内でも不満が貯まっていって内乱が起こり、その隙を占領していた国々に突かれて」 そうしている内に大国はカを失い占領地も失い、小さく分かれて無くなってしまったのだという。元大国だった国は十年ほど前に七つの小国となりようやく落ち着いたということだ。 「人でも国でも同じね、無理をして多くを求めると結局自滅してしまう」 気を付けなくてはねと、溜息を零す。そして、 「災厄のもとである大国が無くなってしまったのだから、もう災厄はこない。森の封印は本当ならもう必要無いものなのよ」 そう語り終えて、まだまだ幼い二人を見た。 二人は顔を見合わせ、少年は安堵し少女はそわそわと落ち着きを無くしている。 「ねえ、お婆ちゃん。だったらもう封印の魔女はいらないの?」 先にロを開いたのはセイラの方だった。その口調からは機待の色が見て取れる。 「そうね、森が寂しがるからそう直ぐいなくなる訳にはいかないけど、でも私の代で封印の魔女は終わりにしてもいいのでしょうね」 祖母の言葉にセイラは素直に喜色を浮かべた。 「じゃあ私、街に帰ってもいいの?」 「そうだね、ルミナに手紙を書いておきましょう。迎えに来てもらわなくちゃ」 ルミナというのはパルマの娘でありセイラの母親なのだろう、会話の外で何気なく考えていたアシルだったが、 「アシルにお礼を言わなくてはね」 会話の流れが急に自分の方へ向き、目を点にさせてパルマを見た。 「アシルが森に認められたからこそ、封印が解かれるのですから」 二人の子供は魔女の言葉に首を捻る。アシルが森に入ったことが封印を解くことになったというのは理解できるのだが、 「認められたって?」 尋ねたのはセイラで、当のアシルはきょとんとしている。 「アシル、あなたをここまで連れてきた方がいたわね。私と同じ姿をした」 「あ、はい。えっと森の主だとか」 (けど森の主って何だろう?) 「森の主というのはね、森そのものの意志。それが具現化したもののことよ。普段私しかいない時は鳥の姿だったりするのだけれど、基本的に森の主は森の魔女と同じ姿をとるのよ」 アシルの心を読んだかのタイミングでパルマが説明を入れる。 「じゃあ去年オレに薬をくれたのも、森の主だったんですね」 「ええ、そのようね」 微笑んだまま頷くパルマを見て、アシルは「あっ」と声を上げた。どうしたの?と尋ねるパルマに、 「ごめんなさい、忘れるとこうだった」 鞄の中から慌てて小瓶を取り出した。 「これを貴女に返すようにって、オレそのために来たんだった」 アシルが机に置くとそれをパルマが受け取って、 「あらあら、小瓶がーつ見当たらないと思ったら」 「ごめんなさい、オレ勝手に使っちゃて……」 「いいのよ、森の魔女の持ち物はそのほとんどを森からの恵みで賄うの」 だから森の主が渡したものだというなら、それはアシルの物だという。 「けれどこの小瓶は私の持ち物だから、だから私に返すようお願いしたのね」 本当に、律義だこと。そうパルマは笑った。 「そしてあなたは約束通り小瓶を持って来てくれた」 「それは、オレが約束を守らなかったらマールが」 「それだけではないでしょ」 アシルの言葉を遮ったパルマは、 「けどそれを、森の主は後悔していたわ。意地悪をしてしまったって」 「別に、意地悪って感じではなかったです」 そう、あれは意地悪と言うより、魔女っぽさの演出なのではないかと思える。あるいは自分が頑固だったからなのか。 「は本当に、優しい子。だから森の主もほってはおけなかったのね。その優しさが森の主に心を開らかせたのよ」 パルマは嬉しいそうに笑った。 「本当はね、十年前南の大国の脅威が無くなった時に森の封印を解いてしまおうと思っていたの」 だけど、とパルマは苦笑する。 「森がそれを嫌がってしまったの」 魔女は森の封印の要だが、封じるかどうかは森次第だという。魔女は森に伺いを立てるに過ぎない。もしも封印の魔女が森を捨ててしまったら、森は直ぐに封印を解くかずっと封印したままか、どちらにしろ人の意志が一切介在しなくなる。 ただ時として、魔女がいたとしてもその思い通りに行かない事もあるというのだ。 「十年単位ならまだよかったのでしょうけど、百年は森にとっても長かったのね」 だから森は人を忘れてしまった。そのために人が森に入るのを疎んでしまうようになったのだ。 「森は結構怖がりなの。その森に人を入れないようにお願いして、だけど人が忘れたように森もその理由を忘わてしまったのよ」 そして恐ろしい何かから森を守る、何かとは人だ、人は恐ろしい。そういうふうに考えるようになってしまったのだという。 「それに人も森に近付こうとしなかったから、だから余計に疎遠になって、森が人を思い出すきっかけが見付けられなかったの」 そこへ現れたのが、とパルマはアシルを見た。 「あなたと出会った日の事を森は嬉しそうに話してくれたわ」 人間は優しい生き者だったんだね、と笑っていたらしい。 「だけど一度では分からないから、もう一度会って確かめたいって言っていたわ」 人間に興味を持って森は、その後の一年間で鳥に尋ね風に尋ね、東と西の森に尋ね、人への理解を深めていった。 そして今日、再度現われたあの日の少年に会い森の封印を解くと決めたのだ。 「あなたは約束したから自分で持って行くと言ったのですってね」 「えっと、それは」 今思えば融通が効かないだけな気がして恥ずかしくなり言い淀む。 「森が本当に楽しそうに話すから私もどんな子か楽しみにしていたのだけど」 アシルを見つめていた目をふと離し、孫娘のセイラを見る。そして再びアシルに視線を戻すと、 「思った通りの子で私も嬉しいわ」 魔女の子は聡い、特に人の持つ負の感情には敏感だ。 だから初め警戒していたセイラがいつの間にかアシルと楽しそうに会話しているのを見て、本当に悪意の無い少年なのだと思った。 素直で、正直で、律義な少年だ。それに賢くもある。 頭が良いというのではない、それは本質を見抜く賢さだ。 だから、森を抜ければ港町が近いと考え、森を抜けるより魔女の薬を選び、約束したからと途中で投げず自身の足でここまでやって来た。 「ねえアシル、あなた魔法に興味がない?」 そう尋ねたのは『つい』というやつだった。 「あります、オレ魔女になれますか?」 アシルの即答にパルマとセイラは顔を見合わせ、そして笑った。 笑ってしまったことへ謝罪し、 「けど、魔女は無理ね」 それでも笑いを零しながらパルマは答えた。 「やっぱり無理かなぁ」 と見るからに残念がる少年に、少女は少し呆れて言った。 「あなたがなるとしたら、魔女じゃなくて魔法使いでしょ」 男なんだから、と。 昔は男でも魔女と呼んでいた時代もあったし、場所によっては魔女と魔法使いの区別は女と男というだけではないが、近代は男女での区別が一般的になっていた。 その答えを受けて、アシルは照れながら笑った。 「そうね、魔法使いならなれるわね」 パルマ意地悪を言ってごめんなさい、と再度謝罪の言葉を口にすると、 「けれど、優れた魔法使いになれるかどうかはあなた次第ね」 そう言って微笑んだ。 パルマが言うにはアシルは絶対的に知識が少ないので、たくさん勉強をする必要があるという。 「私に教えられるのは森の魔女としてのものだけだけど、それでも良いならいつでもいらっしゃい」 そう言ってくれたので、アシルは迷わず「お願いします」と頭を下げた。 「本当にいいの?」 そう尋ねたのはセイラだった。 「森の魔女の使う魔法なんて、地味なものしかないわよ」 薬を作ったり、病気や怪我を治療したり、森の中に自由に道を作ったり。他にも天気を読んだり、害虫を避けたり、本当に魔法なのかと思えるほど地味なものしか無いと言う。 だがアシルにとってはその全てが興味深いものに感じた。 「他の魔法がどんなのかは知らないけど、オレはそういうのがいいな」 だってその方が村の人役に立てる。 教会の神父にも治せなかった妹の病を治したのは魔女の薬だったし、他にも虫の被害を減らしたり天気が分かったり、 「そういうのってすごいと思うけどなぁ」 農村で育った少年と街で育った少女の違いなのだろう。 「私だってお婆ちゃんの薬はすごいと思うし、お母さんだって立派な魔女よ。でもね私はアミュレットを作ったり占いをしたりする方が好きなの」 女の子らしい意見をアシルとパルマは微笑ましく思う。 「さあ、これであなたの知りたかったことは全てかしら」 森の主の事、森の封印の理由と災厄の事、そして封印の解がれた理由、一通りの事は教えてもらったし納得も出来た。 ただ一つアシルを悩ます事柄があった。 「村の人達に何て説明したらいんだろう」 もう災厄は無くなったから封印が解かれた、と言うのは易いだろう。ただそれと自分がどう関わったかは話すのが難しい。自分の手柄だと言うのは違う気がするのだ。 「そうね、本当の事を言うのもよいけど、言わなくてよい事もあるわね」 暫くの考えたパルマは、ではこうしましょうと手を合わせた。 「封印の魔女は森から出られないから封印が解かれる事を村の人達に知らせる術が無がった、だから昨年たまたま出会った少年を封印が解ける日に呼び奇せ、封印を解いた」 「でもそれだったら、封印を解いてから村に行けばいいじゃない」 セイラの指摘はなるほど的を得たものであった。 「封印を解くには外の人間の手をかりる必要があったと言えばどうかしら?」 実際にそれが引き金になったのだから嘘ではない。 「どう?少し嘘を吐く事になるけど、出来るかしら」 そう問われたアシルは、大丈夫だと頷いた。 好きこのんで嘘を吐こうとは思わないが、嘘を吐けない訳ではない。 「では今日はこのくらいにしておきましょう」 「え、まだ明るいじゃない」 確かに空はまだ明るかったが、太陽は大分西に傾きっつあった。それを見てパルマは首を横に振る。 「そろそろここを出ないと日暮れまでに村へ帰れないでしょ」 「ふーん」 セイラは気の無い返事をしてアシルを見る。 「あなた魔法の事を勉強しにまた来るのよね」 「うん、来たいけど」 語尾を濁してパルマを見れば、それに答えるようにパルマが頷くので、 「来るよ」 しっかりと答え直し領いた。 「直ぐに来るの」 「来たいけど、これから畑仕事がいそがしくなるから」 アシルは少し考えて、 「春蒔きの麦を刈り込んでからかな」 「そんなの、冬になっちゃうじゃない」 セイラはいじけてそっぽを向いた。助けを求めるようにパルマを向くと、 「この子はたぶん、夏の終わる頃には街へ戻ってしまうから、会えなくなるのが寂しいのですよ」 パルマが優しい口調で答えるのに、 「ベ、別に、寂しい訳じゃないわ。だだ折角魔法を学えるのだったら、先輩として色々と教えてあげようと思っただけで」 照れているのが微笑ましくて、アシルとパルマが笑みを浮かべると、 「ちょ、何笑ってるのよ。本当よ、本当に寂しいとかじゃないのよ。街に帰ったら友達だってたくさんいるし、あんたの事なんてすぐ忘れちゃうんだから。その前に色々と教えてあげようって、私は親切で言ってあげてるんだから。わかった」 「うん、分かった。ありがとう」 素直に頷くアシルにセイラは鼻を鳴らして横を向く。 「分かったなら、夏が終わる前に来なさいよ」 アシルは「んー」と唸ってしばらく考えたが、 「それはやっぱり無理だと思うんだ」 「何よ」 腹を立てて立ち上がろうとするセイラに、アシルは、 「だから」 そう言って呼び止める。 「オレが会いに行くよ。忘れられたら嫌だから、オレが君に会いに行く。港側?それとも王都側?」 「王都よ」 素っ気ない返事があった。 「正面の門を入って真っ直ぐ行くと広場があって、そこからマルコム通りに入って大鍋の看板が掛かっている店だから」 「うん、分かった」 「心配しなくても最初は私が案内してあげますから、大丈夫ですよ」 パルマはくすくすと笑った。孫娘と未来の弟子の遣り取りが可愛いらしかったというのもあるが、 「森を出るなんて、何十年ぶりかしら」 そう言って少女の様に笑うのだった。 ただの森の魔女ならまだしも、封印の魔女は封印を護っている間は森から出る事が出来ない。森から出る時は役目を次代に譲った後か死んだ時である。 森の魔女は森を愛し、自ら森を出たがる者は少ないと言うが、それでも出る事が出来ないのと、出ないのでは全く遣う。 「お母さんは封印を護れるほどの力を持っていなかったから」 「そうね、だからあなたには辛い思いをさせてしまうところだったけど、そうならずに済んでよかったわ」 本来封印の魔女は子を残した後、その子供が一人立ちした後になるらしい。 パルマは先代が病に倒れたため少し早かったが、それでも四十歳前のことだった。本来なら少しずつ修業して森に慣れ、セイラが十六歳になった年にセイラの母が森に入るはずが、母は素質に恵まれなかった。そのためセイラは街と森を行き来しながら学ぶ程の時間が残されていなかった。 「アシル、改めてお礼を言わせて。私に会いに来てくれてありがとう」 改まって礼を述べられたらアシルはどうして良いか分からず困ってしまい、それを見てセイラが仕返しとばかりコロコロと笑った。 「私の代わりに森の魔法使いの弟子も出来たしね」 「そうね、あなたは森の魔術にはあまり興味が無かったようだから」 「別に森が嫌いという訳じゃあないのよ」 「知っているわ」 ただ他への興味が勝っていただけだ。 祖母と孫の会話が一段落したところで、パルマはアシルに視線を向けた。 「まだ正式に弟子と決まった訳ではないけど、あなたが本当に魔法使いになりたいと言うのであれば、私はいつでも歓迎します。親御さんとも相談してまた森に遊びにいらっしゃい。封印が無くなっても私がこの森の魔女であることには変わらないのですから」 「はい、そうします」 頭を下げるアシルを見てパルマは満足そうに頷いた。そして、 「さあ、今日はもう返りましょう。森の出口まで送るわね」 そう言って立ち上がり、アシルもそれに続いた。 「セイラはお留守番頼めるかしら?」 「かまわないわ」 頷く孫娘を見てパルマはアシルを連れ外へ向かう。 テラスからそのまま庭に降りでもってよかったのだが、意外に高い位置にあるテラスから飛び降りるのは気が引けて屋内を通ることにした。 (もう少し若ければね) できないこともないのだけれど、年寄りの冷や水になってはしかたがない。 年は取りたくないものね、と苦笑を交えながら玄関を出ると、今度は違う意味で笑みを浮かべた。 「あらまあ、貴方が送ってくださるの?」 アシルはパルマの後ろから顔を出しパルマの前に立つ人物を見る、そこにはパルマと同じ容貌の老婆が立っていた。同じ顔、同じ外見の人物なのにそれがパルマではないことが一目でわかる。どこがどう違うのか言葉には出来ない、ただ雰囲気が違うとしか言いようがないのだ。 「本当は私が送りたかったのだけど、貴方が送ると言うのであれば譲る他ありませんわね」 「ありがとう、パルマ」 同じ顔が笑いあう様は双子を連想させるが、やはり何処か独特な雰囲気があるのは人と人ならざるものの組み合わせだからだろうか。 「アシル、そういうわけだから」 そう言って道を空けるパルマは何処か嬉しそうな表情を浮かべており、同じ姿の森の主もやはり同じように微笑みを浮かべアシルを迎えてくれた。 森の主とパルマの家を出る前にアシルはくるりと向きを変え、 「今日はありがとうございました」 パルマに礼儀正しく謝辞を述べた。 「私の方こそ楽しかったわ、またいらっしゃいね」 微笑むパルマにアシルも笑顔を返し、 「はい」 元気よく頷くものだから、パルマも森の主も嬉しくなってしまう。 森の主にとっても森の魔女にとっても森を好いてくれる人がいるのは好ましいことだし、それが自分たちの気に入った相手ならばもっと嬉しい。